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MONO代表・土田英生のブログです

2006年06月02日

去年の夢、再び。

問題は体重だ。
昨年の夏、一ヶ月くらい食べ物に気をつけ、そして走った。
結果として76キロだった体重は70キロまで減った。そこで喜んでいるうちにうやむやになってしまった。
そして今年。
去年履いていたパンツが軒並み入らない。シャツはどれも着るとピチピチになる。ボタンとボタンの間は左右に引っ張られて隙間が出来る。お気に入りだった黒いシャツを着て鏡を見たらシャチのようだった。え? 俺はこんな姿で歩いているのか? 
おかしいと思って体重計に乗った。
……78キロを超えていた。

そこで一念発起した。
再びダイエットを開始だ。
走り出して三日経つ。足が痛い。しかし意地でも続けてやる。今年こそは70キロを切ってやる。二十年前、大学生の時は55キロだった。この二十年の間に付いた贅肉を全て落としてやりたい。
今日は77キロになっていた。問題は間近にイギリス行きがあることだ。ここで中断するときっと終ってしまう。よし、向こうでも走ってやる。エジンバラの旧市街を、そしてロンドンの街を。




posted by 土田英生 at 02:33| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月03日

最初に踏み入れた場所

 6日からエジンバラに5泊し、帰る前にロンドンに立ち寄るのだが、ロンドンに関しては今回の企画と関係ないのでホテルを手配した。知り合いの旅行会社に頼んだ。
 その時気づいたことだが、地図を見ながら「どこがいいですか?」と聞かれた時に、「この辺りで」と、自然と西側を指したことだ。「え? 街の中心じゃなくていいんですか?」と聞き返されて私は考える。
「出来れば中心がいいんですけど……中心がダメならこの辺りで」とまたしてもかなり西を指す。不思議そうな相手の表情を見て、「いや、センターは高いから……」と言い訳をしたが、どうも理由は別の所にある。

 人間は非常に臆病で知らない土地に行くとやはり不安なのだと思う。そして最初に足を踏み入れた場所が最もなじみの場所になる。
 私が愛知県から最初に京都へ来た時、右京区の常磐という場所に住んだ。京都の中ではやや北西。その後は何度も引っ越しを繰り返して来たが、圧倒的に右京区が多い。そして今もそうだ。右京区はやはり自分の場所だという気分になる。二十年も京都に住んでいるのでまるで知らない場所というのは少ない。にも関わらず右京区はやっぱり違う。

 昔は北から東京へやって来た人が到着する駅は上野だったので、そういう人達は寂しくなると上野へ集まるという話を読んだことがある。東北新幹線の開通で事情は変わったと思うが、とにかく人は最初に足を踏み入れた場所に安心を感じてしまうのだ。

 で、ロンドンだ。
 最初にリーディングの企画でロンドンへ行った時、ホランドパークのホテルだった。劇場があったシェパーズブッシュからは一駅で、徒歩圏内。大体、「ロンドン市街図」などでは左ぎりぎりに何とか載っている場所だ。ノッティンヒルの近く。その後、1年間、留学をした時に住んでいたのがそのシェパーズブッシュ。地図だと切れてしまっていることが多い。人に「どこに住んでたの?」と聞かれると地図の罫線の外を指して「この線のちょっと外」と言うしかない口惜しい場所だ。
 しかし、どうやら完全にその辺りが自分の安心出来る場所になってしまったようだ。私にとってのロンドンはその辺りが基点になってしまった。その後も二回程ロンドンへ遊びに行ったが、ホテルはそれぞれベイズウォーターとアールズコート。ベイズウォーターはノッティンヒルの近くだし、アールズコートも何かとウロウロしていた場所だった。留学した時には部屋が決まるまで滞在していた所でもある。とにかく街のセンターとは言えない。しかし可哀想なことに私に案内されたりする友人はやたらと西側をウロウロさせられる羽目になる。
 しかし、今回は思い直した。1日だけは岩崎正裕さんと一緒なのだ。しかも彼がロンドンに滞在出来るのは1日だけなのだ。西側を無意味にウロウロさせる訳にはいかない。私の想い出巡りに付合わせる訳にはいかないのだ。
「すみません。やはりセンターのホテルを探して下さい」
 と、きっぱりと言った。
 ホテルはオクスフォードサーカスの近くになった。これなら大丈夫だ。しかもやっぱり便利だしね。ホテルの位置を地図で見ながら、そりゃこの方がいいやと自分でも思う。
posted by 土田英生 at 14:00| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月06日

荷物

今、三時過ぎ。
また眠れない。朝は6時に起きてなければならない。
今日からスコットランドだからだ。
締切りの原稿を出し、さっき旅行の準備も終った。今回はなるべく荷物を減らそうと努力した。だからパソコンなども持って行かない。東京へ三日間行くのと変わらないくらいの小荷物になった。
posted by 土田英生 at 03:24| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月10日

エジンバラ

というわけで、エジンバラにいる。時間が空いたので劇場のカフェで、一緒に来ている中山さんのパソコンをかりてこれを書いている。
 来てからずっと天気に恵まれて仕事と観光の両面で満喫している。
 二年前にも同じ企画で参加したが、そのときよりもじっくり街も歩けていい気分だ。
昨日からは「その鉄塔に男たちはいるという」のリハーサルに参加している。みな、気さくでいいメンバーだ。演出家も含めてみな男ばかりなのでがやがやと楽しい。雰囲気がどことなくMONOに似ている気がする。特に奥村が演じた吉村。それを演じる役者さんなどはまるでスコットランド版の奥村だ。思わず「舞台美術もやるの?」と聞きたい衝動に駆られたくらいだ。
 今日は本番。これまでも各地でやってもらっている戯曲だが、スコットランド訛りでかなり新鮮なものになっている。楽しみだ。
Edinburgh Castle.jpg
posted by 土田英生 at 01:15| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月16日

帰国

 帰って来た。
 様々なトラブルはあったものの、楽しかった。
 エジンバラでは問題はほとんどなかった。リーディングも成功だったし、スコットランドの劇作家や俳優の皆ともしっかり交流出来た。パネルディスカッションでいきなり英語で喋らねばならない状況に追い込まれて前代未聞に焦ったものの、それも今や楽しい想い出だ。だからエジンバラでのことはまたゆっくりと書くことにする。とにかくまだ落ち着いていない。荷物の片付けや留守中にたまっていた様々な連絡などをしなければならないからだ。

 問題のほとんどはロンドンだった。これもちゃんと書いている時間はない。しかしやはりというか、基本的な所で様々に問題を起こしてくれた。代表的なことを三つ書く。

1◎まず空港からの地下鉄、ピカデリーラインが広範囲に動いていない。バスやヒースローエクスプレスという市内へ直で行ける電車はあるものの、あれじゃ困るに決まってる。可哀想にオロオロしている観光客を多数見かけた。しかしこんなことは留学中にもしょっちゅうあったので、そんなに焦る事もなくバスに乗り換え別の地下鉄の駅に行き、事なきを得た。

2◎ロンドンでのホテルはとても快適だったが、夜中にいきなりトイレが壊れた。イギリスのトイレは流れないことは良くあるが、そんな生易しいものではなく、流そうとしたらレバーが取れてしまった。そしてレセプションに直してくれと言いに行くと、「強く流しすぎたんじゃないの」と笑っている。おいおい、そんな繊細なトイレではいけないんだよ。とにかく直してくれと頼むと、なんと彼はナイフとフォークを二本携えて部屋へやって来た。それでふた等をこじ開けて直していた。工具くらいは常備しておいてくれ。

3◎そして帰り。シティ空港からアムステルダムに行き、そこでトランジットして関空というルートだったのだが、シティ空港のチェックインカウンターのコンピュータが故障してシャットダウンしてしまった。もう長蛇の列。で、割り込んで来たドイツ人ビジネスマンと口論になった。英語の力量の差で何だか私の方は劣勢に立たされてしまった。理不尽だ。ちゃんと並んでいるのに。しかしだ。途中から周りの人々が私の味方についてくれて助かった。すぐ後にいた若い女性などは凄い勢いで加勢してくれた。ビジネスマン達はタジタジだ。そして退散。彼女はその後も私を慰めてくれた。しかし私が甘えたように愚痴を言い出すと愛想笑いだけになってしまった。大人だ。
 一難は去ったものの問題は終らなかった。順番が来たが機械は直っていない。仕方なく受付職員が手書きのアムステルダムまでのチケットをくれて「席は適当に」とかなり適当なアドバイスをくれた。混乱したが私も適当に聞く事にした。が、見ると関空までのチケットがない。アムステルダムで取れと言う。預けた荷物を関空で受け取るという確認だけは何回もして、ゲートに向かう。
 しかしだ。乗ろうと思ってラウンジで待っていると、隣にいた人がちゃんとしたチケットを持っている。聞くと「普通にもらえたよ」と涼しい顔をして言いやがる。慌てて案内カウンターへ行くと睫毛の異様に長いブロンド美人の空港職員が「機械は直りました」とシレっという。だったら教えてくれよと思いながら、そこで関空までのチケットを発券してもらう。

 で、まあ、とにかく帰って来た。
 
 
posted by 土田英生 at 06:58| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月21日

声。

 何だかずっと声の調子が悪かった。
 かすれる。タバコの吸い過ぎも大きい。97年に甲状腺の病気になって以来、腫れたことによって声帯が圧迫され声が変わった。しかしどうも最近は特にひどいなあという気がしていた。
 病院に行ってみた。
 いやあ、もう喉に何かを突っ込まれるというのがこんなに辛いと思わなかった。当然のようにオエとなる。「ハハハ、力を抜いて」と目の前の医師は言うが、抜けない。何度やってもダメなので先生はため息まじりに「ハハハ、鼻からにしましょう」と鼻にカメラを突っ込んだ。一々微かに笑う先生の言葉は私を「ああダメな大人ですみません」という気分にさせる。
 結果は声帯が腫れていた。ポリープまでは行ってないがこのままだとそうなると言う。
「かなり喉を使ってますねえ。喋る仕事か何かなさってるんですか、ハハハ」
 と、医師は聞く。
「違います」と私は答える。先生は不思議そうな顔をして私を見る。
「ああ、そうなんですか……」先生はどこどなく寂しそうだった。私の答えが余程期待はずれだったのか。
 沈黙が訪れた。私は沈黙に耐えられない質だ。
「でも喋ります。とても喋るんです。常に喋っているんです、私は」と、慌てて付け加えた。
「ハハハ、だったらそれですね。じゃあ、お喋りをしばらく控えてもらって。喉を休ませてあげましょうね、ハハハ」
 先生も嬉しそうだ。
 ということで、薬をしばらく飲んで、極力、喋らないことにした。

 苦しい。喋らないことは私にとって最大の苦痛だ。
 人が横にいればとにかく喋っているし、電話でもそうだ。垣脇などは可哀想なことに用件を伝える電話にも関わらず私の昨日の失敗談などを聞かされたりする。途中で何度もキャッチホンが入る。一人で台本を書いているときも台詞を声に出しながら書いている。退屈だと歌う。一人でインタビューや取材などの予行演習もする……と、とにかく声を出しているのだ。
 苦しい。禁煙もしようと思ったが、そんなことをしたらどうなるのか? タバコもダメ、おしゃべりもダメでは私は一体何をしていたらいいというのか? まあ、タバコは本数を減らすことにして自分で納得した。更に小さい声なら喋ってもいいことにした。
 
posted by 土田英生 at 05:24| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月24日

初体験の苦痛

 どうも喉の調子が改善されない。
タバコも小声のおしゃべりも自分に許可していたが、どうも良くない。

 で、とうとう生まれて初めての禁煙に挑戦。
 ニコレットを買い、余っていたタバコを全部捨て、家中にあった灰皿を片付ける。
 これで“おしゃべり”と“タバコ”という私の日常生活に寄り添っていた二人の友としばし決別。

 ああああ。自分が一体何をしているのか分からない。仕事をしようとパソコンに向かっていても落ち着かない。ワールドカップを観ていても落ち着かない。気分転換にコーヒーを淹れればタバコを吸いたくなる。人とも喋れない。こんなことを続けていると人格が変わるのではないかとすら思う。
 音楽をかけてアロマキャンドルをつけ、お香を焚いて、深呼吸を繰り返し、部屋の中をウロウロする。

 前に水沼君がタバコの常用者は完全なニコチン依存タイプと、間が持たず口寂しさから息を吸い込みたいタイプがいるというという話をしていた。私は後者だと思っていた。仕事をする時に主に吸っているし、海外へ行くときの飛行機などは十時間以上吸えない訳だがさほど苦しくない。
 しかし……そりゃ、あれだけ吸ってたらニコチン中毒にもなってるよね。最近は減っていたがずっと一日に三箱とか吸っていたからだ。
 
 ……頭がぼうっとしてくるし、手に汗をかく。しかしちょっと吸わないだけで喉が楽だ。やっぱりタバコは大きな原因だったのだ。ま、どれだけ頑張れるか。しかしお陰でダイエットなどはどっかへ消えてしまった。これで食べ物を控えろとなると……ああ、何だか変革の時期だ。
 
posted by 土田英生 at 08:47| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年06月30日

二十年前。

 一昨日、朝日放送のプロデューサー、奈良井君と京都で打合せをすることになっていた。

 彼は私の大学時代の後輩。私が三回生の時に彼は新入生だった。
「立命芸術劇場」という所で一緒に活動した。学生とは思えないくらい達者で、彼の演技を見ながら非常に焦ったのを覚えている。川村毅さんの戯曲「ニッポン・ウォーズ」を私が演出した時には彼は水沼とコンビを組んで出演していた。いやあ、色んな想い出があるね。

「で、京都のどこで打合せしますか?」
 私は思わず言った。
「どうせならセカンドハウスで。ダメならユンゲにしよう」

 セカンドハウスはいつも練習が終った後行っていた喫茶店だ。ユンゲは学内にあるカフェだ。
 行ってみると名前が変わっている。あら、なくなった? そう思いながら店を覗くと、ママがいた。店に入ると「あら、万力さん?」と声をかけられた。 そうなのだ。私は学生時代、そのような名前で呼ばれていたのだ。ちなみに奈良井君は「うず」というあだ名だった。余談ながら水沼は「金髪」と呼ばれていた。しばらく昔話に花を咲かせてしまった。あれはもう二十年前のことだ。

 打合せの後、二人で学内をウロウロ歩いた。私達が使っていた部室はもうなくなっている。学生会館という建物に行き、現在の部室の前まで行った。二人で中を少し覗いてそのまま立ち去った。無限洞でお茶も飲んだ。
 何だか妙に懐かしい感じの打合せになってしまった。しかしたまにはいい。そして親しい後輩と現在一緒に仕事の話を出来ることにとても感謝した。
posted by 土田英生 at 06:35| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする