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MONO代表・土田英生のブログです

2014年01月04日

忘年会と新年会

 皆さん、今年もよろしくお願いいたします。
 まずはMONOの公演『のぞき穴、哀愁』が2月から始まりますので、観て下さい〜。

 私は普段、忘年会などにも参加しないし、新年会もしない。
 昔は劇団で忘年会などをやっていた気がする。いつも年明けに芝居の稽古で顔を合わすからかも知れないが、最近はそういったイベントもしていない。
 
 年末、東京にいた。
 下北沢の事務所にいると、内田滋からメールが来た。
 滋ちんから連絡があるのは久しぶりだ。
 近くで飲んでいるので来ないかという誘いで、鹿殺しの丸尾君と飲んでいるという。
 
 その日は静かに過ごしたかったし、用事があって、柿喰う客の七味まゆ味と会う約束をしていた。
 しかし、滋ちんと丸尾君を含めて四人で呑むのも悪くない。
 なので、七味さんに提案して二人でその店に向かった。

 ……ふすまを開けたら人、人、人。
 もう意味が分からない。
 それは鹿殺しの忘年会だった。
 テンションが低いまま大人数の中に放り込まれた。ああああ。
 
 結果……事務所に帰って来たのは朝の五時だった。
 すっかり忘年会を楽しんでしまった。

 で、今日。
 毎年恒例の『劇研寄席』に行った。
 京都の役者達が落語をやっている会だ。MONOからは水沼君も参加しているし、コント仲間であるエディ・B・アッチャマンも出ている。そしてなんと今年はゲストに千葉雅子さんが来るのだ。
 
 で、終わってから呑んだ。
 千葉さんと仕事する時に、必ずご一緒している舞台監督の藤田君も観に来ていた。

IMG_2788.jpg

 で、結局、帰って来たのは3時半だった。
 すっかり新年会を楽しんでしまった。
 
posted by 土田英生 at 04:14| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月09日

作品を創る!

 どうでもいいけど、自宅で時々、電話が圏外になる。
 これは……とても困る。
 考えなければ。
 
 MONO『のぞき穴、哀愁』。
 稽古が始まって3日。
 やる気になってきた。こうだこうだ。思い出した。
 そう言えば、作品を創る時はこういう気持ちになるんだった。
 
 やっと作品を創作する身体になった。
 いやいや、スポーツ選手ではないので、身体を作るとかじゃなく、気分の問題だけど。

 今、考えると昨年の後半からすっかり休養気分になってしまっていたんだと思う。
 前半はとにかく忙しかったし、秋までは『斉藤さん2』にかかりっきりだった。

 10月になって京都に戻り、ロンドンに遊びに行ったりしてリフレッシュした。
 そして、11月になり、そろそろ本格的にMONOに取りかかろうと思った。しかし……。

 作品を書く時は、どうしたって社会の動きに影響を受ける。
 基本的に私はエンターテイメントを創作したい。
 楽しく書きたい。
 しかし、表現するということは、自分が生きている社会に対するリアクションにならざるを得ない。
 特定秘密保護法案の成立など、一連のニュースで私は混乱した。
 気分はすっかり落ち込んだ。
 なにをどう書いたらいいのか、悩みが深まった。
 
 じっとしていた。
 ノートを広げ、書いてはみるのだが、なかなか気持ちが乗らない。
 やる気が失せかけた。

 気分を変えようと万年筆を買い、それを入れるペンケースを探し、なぜか自分で作ってみようと思い立ち、そしたらレザークラフトに凝ってしまい……悪循環だった。
 多分、逃避行動だったんだと思う。
 黙って革を縫っていると、このまま、どこかへ引きこもりたくなった。

 そして年が明けた。
 稽古開始が近づく。
 ……書くしかない。逃げていても仕方ない。
 
 で、書き始めたら……自分なりの回答が見えて来た。
 ここ数日は全く革を触ろうともしていない。
 やっと芝居に頭が切り替わった。
 ちなみに最後に作ったのはタバコケース。

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 どうでもいいけど、レザークラフトなどをやっている人が、ブログに写真を載せる気持ち解るね。
 どうしても載せたくなるもんね。
 しかし、これが最後だ。
 危なかった。危うく『土田頁』が『土田レザークラフト趣味頁』になるところだった。
 私が創るのは舞台だ。
 タバコケースではない。

 それにしても、これがMONOの公演でよかった。
 年に一回、皆と集まって作品を創る。
 色んな嫌なことがあっても、こうして理解あるメンバーやスタッフと作品創作ができる幸せは何事にも代え難い。

 なにが起ころうが、この環境だけは死守してやるからな。

 ということで、稽古に行かなければ。
 今日も頑張ろう。
 舞台を創る時だけは、絶対に前を向こう。
 だから皆さん、劇場で会いましょうね。楽しい作品を創りますから。まあ、ちょっと哀愁もあるけど。
posted by 土田英生 at 16:50| 京都 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月10日

スエットを下ろすタイミング。

 私はすぐに焦る。
 例えば、家でトイレを我慢していて「もうダメだ」と思ったりした時、なぜか立ち上がった時にスエットを下ろしたりする。下ろしたまま、階段を駆け下りるので走りにくい。

 順番が待てない。
 
 芝居の稽古を始めると、最初は本当にもどかしい。
 ええ? こんな風なの? 違うよね? という気になる。
 だけど冷静に考えれば、最初からできあがっているわけではないのだ。
 今からトイレに向かうのに。
 すでにスエットを下ろしてしまっている感じだ。
 
 特に新作の場合は、一度も形になったことがないので不安は大きい。
 ダメだと思っても、その原因が台本にあるのか、演出なのか、演技なのか、それすら見極められない。
 しかし分かっているのだ。
 役者が台本に馴染み、台詞に体重が乗ってくれば、見えてくるのだということを。
 だから待てばいいだけなのに、私はすぐに焦ってしまう。

 私が稽古を休むとする。その日は役者さんだけで延々に台詞を回してもらったりする。
 で、次の日。
 やってみると劇的によくなっていたりする。
 そういうものなのだ。

 トイレに着いてからスエットは下ろそう。
posted by 土田英生 at 15:49| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月11日

聞いている顔。

 私は『誰かが話している時、それを聞いている人の顔』を眺めるのが好きだ。
 無防備なのがいい。

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 昨日の稽古場で、制作の話を聞く役者さんたち。
 右から金替君、古藤望さん、水沼君、そして東京から参加してくれている森谷ふみさん。
 それぞれの無防備さがいい。

 舞台などでも、台詞を発している人ではなく、端の方でそれを聞いている役者をつい見てしまう。
 その無防備な顔に感動したりする。
 そういうところが舞台の面白さの一つだったりする。
 テレビドラマなどにも関わらせてもらったりするが、カメラワークによって、どうしたって不必要なところは切り取る。脚本を書いて渡す。ディレクターは「カメラ割り」を考え、割り台本というものを作る。
 これを見れば「この台詞ではこっちから撮り、次の台詞では誰々に寄るな」と、分かるようになっている。
 どこをどう撮るかが作品の良し悪しを決めるので、これは仕方ない。基本的には喋っている人のアップが中心になり、聞いている人の顔が映るときは、それを「狙い」として撮る。

 だから無防備に聞いている人の顔はなかなか見ることが出来ない。
 
 舞台でも演出するときも、観客の視線をどこに集めるかは考える。
 これはテレビでのカメラワーク的な作業と似ている。
 しかし、舞台の場合、いくら演出が考えたところで、観客はどこを見るのも自由なのだ。主役が喋っている時、その周りにいる人を眺めることもできる。
 私は芝居を観ていて、面白くない時などはこれをやっている。
 気に入った役者を見つけ、その人の顔ばかり見ている。これはこれで楽しい。
 
 「聞く」ことはとても大事だと思う。いい役者は相手の台詞を上手に聞く。どうしても台詞を出すことばかり考えるが、実は聞くことはとても重要だ。

 話が少しそれるが……。
 最近、社会を眺めていて思うこと。
 とにかく話を聞く力が弱まっている気がする。
 なんだか余裕がない。
 意見が違った時、相手の話を聞いて話せばいいのに、どうも喧嘩腰になったりする。
 喧嘩と議論は違う。
 喧嘩している時、人は相手の言い分を聞いていない。どう言い返そうか、自分の立場をいかに守ろうかばかりを考えている。

 聞かなければ。
 私も押し出しが強い性格で、あまり人の話を聞くのは上手ではない。
 だから自戒の意味を込めてこんなことを書いている。
 自分が苦手だから、聞いている人の顔を見るのが好きなのかも知れない。
 
 実はもう一枚写真を撮った。
 そこには尾方君、そして客演の高橋明日香さんと松永渚さんが写っていた。
 それぞれにいい表情だった。並べてアップしたかったけれど、高橋さんの顔が……公表するのがためらわれるくらい「無防備過ぎ」だったので遠慮した。
posted by 土田英生 at 03:20| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月16日

ここが大事。

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 MONO『のぞき穴、哀愁』の稽古も一週間以上経った。
 個人的には焦ったりもするが、一つづつ潰していくしかない。

 稽古場で解釈などを話し合ったりするのがあまり好きではない。「そこ、どういう気持ち」などと話すばかりでは芝居はよくならない。
 もちろん、理解は必要だが、一番大事なのは身体だ。
 役者さんの身体に落ちなければ、説得力を持たないしね。
 その点では限りなくスポーツに近いと思う。
 泳ぎ方を頭で理解していても泳げないのと同じだ。
 だから、練習も繰り返すしかない。
 
 どうも稽古が始まってしまうと、そればかり書いてしまう。
 生活も芝居以外になくなってしまうからだ。

 明日は稽古を休んで朝から福岡へ。
 北九州公演の宣伝をさせてもらう。色んな方にお会いして、とにかく喋ってくる。
 柚胡椒を買ってくることだけが楽しみだ。

 というわけで、MONO「のぞき穴、哀愁」よろしくお願いします!

 →MONO


 
posted by 土田英生 at 01:34| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月17日

半日の博多

 昨日は朝から新幹線で博多へ。
 MONO『のぞき穴、哀愁』→北九州公演の宣伝をさせてもらう為だ。
 12時過ぎに到着し、北九州芸術劇場の皆と待ち合わせて、13時から一件目の取材がスタート。
 18時までに6件という完璧なスケジュールで、公演について喋りまくらせてもらった。
 
 どの取材も楽しくさせてもらった。
 それにしても……九州の新聞記者さんは個性的な人が多い。
 皆、それぞれにキャラクターが確立されている。
 特にその中のある方は……話し方が芝居調なのだ。
 
『じゃ、今回の芝居は◯◯って訳ですかい?』
『最近、劇団の主宰者稼業はどうなもんで?』
『ずばりお聞きしやすが、台本は完成してるんですかい?』

 私も思わず『赤城の山も今宵限りか』と言いそうだった。昼間なのに月が出ている気がした。
 
 夕方に終わって、一緒に回った芸術劇場の皆さんと、北九州公演を手伝ってくださるというボランティアスタッフの方と福岡の居酒屋チェーン『太っぱら』に行き、最終の新幹線で京都に戻って来た。
 
 ……今日も稽古。
 気分を引き締めて頑張る。
 
posted by 土田英生 at 15:20| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月23日

現在の私。

 初めての人と会う時、「土田さんの芝居は何度か観たことありますよ」と、言われたりする。
 「ありがとうございます!」喜んで私は答える。
 MONOのことだと思ったりするのだ。
 しかし、大抵の場合、残念ながら違う。

 私の書くものには少人数の戯曲が多いせいか、今でもわりと上演許可願いが届く。
 そして、限度をこえた改変や事情などがない限り、上演許可を出させてもらっている。
 この前、制作の垣脇に聞いたら、今でも平均して毎月、2つから3つの団体が私の作品を上演して下さっているそうだ。
 これは劇作家として、純粋に嬉しい。
 だからなのか。若い役者さんと会うと「やったことあります」という人にも結構出会う。
 私と同じ役をやった人などとは、ちょっと話も弾んだりする。
 しかしだ。
 そう言ってくれた人の多くは……MONOを観たことがないという。
 最初に書いた、「土田さんの芝居は……」と、話す人たちも、こうした作品のどれかを観てくれた人なのだ。

 これはどういうことだろうと考えてしまう。

 やることに興味はあっても、観ようとは思わないのかも知れない。
 私は学生時代、竹内銃一郎さん、鴻上尚史さん、北村想さん、川村毅さんなどの作品を上演していた。
 で、そうした劇団が関西に来ると、こぞって観に行った。
 知りたかったのだ。
 自分達なりに色々と悩みながら作品を創る。で、それを書いた人たちがどのように舞台を創っているのか、単純な興味があった。正解を求めているわけではなく、例えば、自分が演じた役を、どのようにやっているのか見たかった。
 
 なんか、愚痴っぽいね、今日は。

 まあ、ようはMONOの芝居を観て欲しいなあというだけだけど。
 私も外で色々と仕事をやらせていただいているが、やはりというか、そのベースは劇団にある。
 MONOで色々と試行錯誤をして新作を創ることが、他での創作活動の源になっているのだ。
 だから、私としては、観にきて欲しい。それが現在の私の姿だからだ。
  
 今日は大阪で記者懇談会があった。
 14社ほど集まってくださった。昔なじみの演劇記者さんもたくさんいて、その人たちの顔を見るとホッとする。気がつけばリラックスして喋っていた。

 しかし、思い出す。
 取材の度に、ダメな部分を指摘されるのではないかと怯え、必死で喋っていた頃を。
 無知がバレるのではないかと、話す前に自分の中で取材のリハーサルをしていたあの頃を。
 あの時と同じ心持ちで私もやらないといけない。
 リラックスしている場合ではないのだ。
 今、なにを作っているかだけが問題なのだ。過去にどんな作品を上演していたのかは関係ない。

 MONOは25年。しかし私たちのような小さな劇団はいつなくなるか分からない。観に来てくださる方がいなくなれば上演が難しくなるだろうし、メンバーの誰かが欠ければ、劇団なんてすぐになくなってしまう。

 だからこそ、活動できるありがた味を感じながら作品を創らせてもらっている。
 結局なにが言いたいのかというと……そんな気持ちでやっているので、皆さん、来てくださいねということです。すみません。

mono nozikiana.jpg

 ↑写真をクリックすると公演情報のページに行きます。
 ストーリー、キャスト紹介、など……見てくださいね。
 
 
posted by 土田英生 at 03:39| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月25日

水下きよしさん。

 楽しいことを書こうと、途中まで書いていたのだが……。

 信じられない訃報。

 花組芝居の水下きよしさんがお亡くなりになったという。
 そういう情報があったという連絡があり、私もネットで調べていたのだが……どうやら本当らしい。
 花組芝居のサイトでも報告されている。

 知らなかった、知らなかった、知らなかった。
 今、知ったばかりなので、感情の処理ができていない。
 身体から力だけが抜けてしまう。
 じっとしていることも出来ず、こんな文章を書いている。

 水下さんとは不思議なつながりだった。
 じっくり話した記憶もない。
 お互い、個人的なことは、ほとんど知らない。
 直接、同じ現場で仕事をさせてもらったこともない。
 下北沢で偶然会った時、立ち話したりするくらいだった。

 しかし、それとは全然違うところで、私には水下さんとの付き合いがあった。
 
 花組芝居の番外公演、ハナオフを立ち上げ、その第一弾として、私の作品である『その鉄塔に男たちはいるという』を上演。水下さんが演出。
 それ以降も『相対的浮世絵』『三日月に揺られて笑う』と、私の作品を取り上げてくれた。
 解釈の違いから、メールで議論をしたこともあった。

 とどめは去年だ。
 水下さんはMONO-Zukiというユニットをつくって『うぶな雲は空で迷う』を上演。
 MONO-Zukiのチラシ裏の文章。
 そのまま書き写す。

 私は京都を拠点にした劇団 MONO〈土田英生さん主宰・作・演出・出演〉がダイスキです!
 他にはない空間・役者たちに魅了されています。その魅力に近づきたくて・知りたくて、今まで土田作品には3本トライ(演出)しました。
 やってみるとまた興しろい。こんなにスキならいっそのこと土田作品を上演する時には特別な冠を付けちゃいたい!と、MONO-Zukiを始動します。土田さんも公認してくださいました。
 MONO-Zuki第1弾は、今年3月に上演されたばかりのMONO最新作です。
 未来の話。潮風に当たると生きていけなくなってしまった人類。
 弱小窃盗団が合体し新たな仕事に向かう。しかし、人が集まればそこには些細な不協和音が…。
 ユーモアとたわいない会話で繰り広げられる愛しい人間風景です。そう、人間模様じゃなくて、人間風景。ぜひ、ご賞味下さい。  水下きよし

 
 もう、私はどうしたらいいんだろう。

 今年の4月にハイリンドが久しぶりに私の戯曲を上演してくれることになっていて、その『きゅうりの花』の演出も水下さんだった。
 
 ああ、どうしようもない感情。
 悲しいのか? 辛いのか?
 なんだ、これは。
 泣けてくるわけでもないし。
 突然のことで喪失感だけにさいなまれている。

 やらなければいけないことが山積みなのに、なにもやる気がしない。
 水下さんは必ずMONOの公演には来てくださった。元気だったらきっと今回も観に来てくれたはずだ。
 「だから頑張ろう」みたいなキレイごとで自分をごまかそうと思ったが、ダメだね。
 訃報に接したばかりで、物語にしてしまえる時間もないし、まとめてしまうのは失礼な気がする。
 混乱した感情のままいることしか、私にはできない。
 この文章もアップするかどうか迷ったけど、水下さんについてなにも書かないのもイヤだ。
 
 感謝している。
 水下さんの存在に。

 私は表向きは元気満々にしているが、内心では自分の能力に対する劣等感に苛まれることが多い。「お前には才能がない」という言葉ばかりが毎日頭の中に響いている。
 だから、私の作品を次々と取り上げてくれた水下さんには何度も救われた。
 なんのまとめもできないけど、その感謝だけは忘れない。

 水下さん、ありがとうございます。
 本当にありがとうございます。

 いや、そんなことでもない。
 なんなんだ。
posted by 土田英生 at 02:43| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月28日

落ち着こう。

 なかなか気分が上向かなかった。
 今もその気分は変わってないけれど、それでも前を向こうと決めた。
 
 大好きな男が矢面に立たされている。
 もちろん、私は彼を応援している。
 と言っても、時々メールで「がんばれ」と送ることくらいしかできていないけど。

 なんだろう?
 どうも社会が集団ヒステリーのような状態になってしまっている。
 興奮してしまっている。
 一つ騒ぎが起こると、どっちかにつかなければいけないような空気が蔓延している気がする。
 『踏み絵』を踏むことを迫られる社会。
 落ち着こうよ、と言いたくて仕方ない。

 何かに対して賛成、反対はあって当たり前だ。
 でも、賛成の人と、反対の人の間で憎しみ合う前に、冷静になろうよ。
 それが宗教であっても、政治であっても、国と国との関係であっても。
 絶対正義は存在しない。
 これはAがいいし、あれはBがいいし、総合的にはこの変かなあ。
 こういうことを言うと「卑怯だ」と言われたりする。
 お前はどっちなんだと聞かれる。
 もちろん、私個人の意見はある。
 しかし、問題は……お互いの意見の相違を認めることができない、余裕のなさだ。
 
 ロンドンに留学しているとき、苦手なタイプの人がいた。
 出会うほとんどの人は素晴らしい人たちだったが、困ったのは……考え方が両極端な人だった。
 「なんでも絶対に日本よりイギリスがいい」という人たち、そして「絶対に日本の方がいい」という人たちだ。
 人によって合う、合わないもあるだろうし、それにいいとこ、悪いとこそれぞれなのだ。
 
 日本では電車は時間に正確だ。それは素晴らしいことだと思う。
 一方、私がいた頃のロンドンの地下鉄は笑えるくらい不正確だった。全然、来ないと思うと三本続けて来たりするし。でも、それだって駅員に怒鳴っている日本と、「来ないねえ」と知らない者同士で笑い合うロンドンのどっちがいいのかは分からない。
 気分、状況、価値観の問題だ。
 しかもだ。
 日本にも「仕方ないなあ」と笑う人はいるし、怒鳴るロンドンの人もいるだろう。
 何となくの印象でしかない。

 ロンドンのタクシー、ブラックキャブの運転手になるのはとても難しいそうだ。そのせいか、通りと番地を言うだけで正確に家の前につけてくれる。しかし京都では道を知らない運転手さんも多い。
 これだって、付け加えれば、日本にだって道に詳しい運転手さんはいるし、私はロンドンのブラックキャブに乗って一緒に迷ったこともある。

 イギリスのラップは切れなかった。それは間違いない気がする。だからラップは日本のものがいい。
 けれど、それすら私は面白かった。
 みんな、どうしてるんだろうと、箱からびろーんと伸びたラップを手にして笑った。
 まあ、時には苛々したけど。

 随分と話がそれた。

 問題があるなら議論すればいい。
 だけど喧嘩する必要はない。
 ましてや何か欠点を見つけると一斉に集中砲火するという、こういう環境が怖い。
 大多数の人はきっと「落ち着こうよ」と思っているのだと思う。
 残念ながらそれは声になりづらい。
 過激な意見ばかりが前面に出て来て、それが社会の声である気分にさせられる。
 目の前を見よう。
 手触りのあるものを信じて、そこから自分の世界を広げて行こう。

 今回『のぞき穴、哀愁』はそんなことを思って創っている。
 天井裏から『人』を覗き見る人たちの、馬鹿馬鹿しい話ではあるけれど、少しそんなことを考えたりする。

 落ち着こうよ。
posted by 土田英生 at 03:34| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする