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MONO代表・土田英生のブログです

2015年09月14日

自分の曖昧さ

 安保法制の是非を巡る討論番組なんかを見ていてつくづく思うのは、議論にすらなっていないものが多すぎるということだ。さすがに今回の法案は滅茶苦茶だと思うし、廃案になることを願うのみだが、私をとにかく暗くさせるのは「人と人が話し合うことができない様」を見せられることだ。
 話せないのでは、結局、喧嘩になるしかない。
 そんなことでは未来はない。

 人間の気持ちは100パーセントということは滅多にないのだ。
 考えを表明する段階で自分の気持ちは固まっていたとしても、そこに至るまでには様々な葛藤もあったりする。
 極端な話、AかBがどっちがいいか迷っていて、それが49対51だったりすることもある。
 で、最終的には51の方が自分の意見になる。
 
「私はAがいいと思います」

 と、その人は言う。
 しかし、その人の心の中では49はBもいいと思っていたりするのだ。
 その人が、逆に49対51でBを支持している人と話し合ったとする。
 Bのこういう部分は問題だよね、でもAにもこうした問題があるよね、などと話す中で、時にはよりよい、AでBでもない、Cを発見したりする。
 それこそが対話や議論の醍醐味だ。弁証法だね。

 しかし、厄介なことに、人には自己防衛をする癖がある。
 一旦、どちらかの立場を選ぶと、それを守ることだけ考える。
 反対意見を自分への攻撃だと受け止め、優位性だけを保とうとする。
 それはすでに喧嘩でしかない。
 8月30日の国会前のデモの人数で言い合い争う現象なんか、まさしくそれだ。
 主催者発表と警察の発表とがあまりに違うということから、写真を使って実際は何人だったと言い合ったりする。その時、すでに問題の本質はどうでもよくなってしまっている。あげ足の取り合いをしているだけで、そこに議論などは微塵もない。
 暗澹たる気分になる。

 ここ数日、どういう訳か、毎日、違う人と会った。
 皆、一様に、悩んでいた。
 私で喋れることは喋り、どうしようもないことはただ聞いた。

 大学生の女子の相談に乗ったときだ。
 彼女は進路で悩んでいた。私は彼女を居酒屋に連れて行った。
 演劇をやるべきか、それとも普通に働くべきか。
 まあ、そんな話をしながら時間が過ぎた。
 終電の時間になり、立ってレジに向かった。
 もちろん私が払うつもりだった。
 で、レジまで来た時、私の目の端に、彼女が革の何かを出す姿が映った。
 財布を出していると思い、「いいって! 払うから」と強い調子で言った。
 自分の予想以上に気取った言い方になってしまった。
 しかし……財布だと思ったのは、革のケースに包まれたスマホだった。
 彼女はスマホで電車を調べていただけなのだ。
 慌てたのは彼女の方だった。

「あ、いや、もちろん、払うつもりです」

 と、財布を出そうとしている。
 恥ずかしかった。
 私は今度はとても小さい声で言った。「大丈夫、僕が払いますので」

 いや、そんなエピソードを書こうと思ったのではない。
 色んな人と話す中、多くの人が「どうしたら◯◯になりますかね」というような質問をしていた。
 現状でうまく行っていない時、やはり何かを変える必要がある。
 けれど、自分を変えるなんてことはとても難しい。
 意識や意志だけでは変えられなかったりする。
 
 人は自分自身のことを分かっていると思いがちだ。

「俺は◯◯が好きなんですよね」
「私は××だけは許せないんですよ」

 私は疑いなくこういうことを断言する人が苦手だ。
 大事なのは……自分が信じ込んでいることは、果たして本当なのか疑ってみることだという気がする。
 私が一緒に仕事をしていて、有能だなあと感じる人は、皆、柔軟性がある。
 
「今回は絶対にこういうラインで」

 と、言っていても、違う意見が出ると、すぐには否定しない。
 違うと思っていても、相手の言っていることを、一旦、前向きに考えてみることができる。
 前向きに考えてみられれば、可能性は広がる。
 そういえばそうだね、と、考えを変えられることもある。

 自分も含めてだけど、うまく物事が進んでいない人は、自分の感覚を曲げようとしない人が多い。
 新しい自分や、新しい展開を望むのであれば、今までの感覚ではダメなのだ。
 自分を編み変える度量が必要になる。
 しかし、人には変わることへの恐怖がある。
 特に自分が頼りにしてきた感覚を変えるなんてことはとても怖い。それは何かを気をつける、とか、そういう意識のレベルではないんだと思う。

 私は初めて食べた時、イギリスのソーセージが嫌いだった。
 パン粉やハーブなどがいっぱい入っていて、食べ慣れたソーセージとあまりにかけ離れていたからだ。
 しかし、留学中、何度となくそれを食べる機会があった。
 そして日本に戻ってきた。
 
 最初はただ、懐かしいだけだった。
 日本ではほとんど売っていない。
 売ってないんだなあと思うと、どうしても食べたくなった。
 そして、次にロンドンに行った時、早速食べた。
 ああ、美味しいと思った。

 これだって味覚が変わったのではないのだ。
 元々、ソーセージとはこういう味だという自分の思い込みがあり、イギリスのソーセージがそれと違ったので反射的に嫌いだと判断していたのだ。それが懐かしさが手伝って、前向きにそれを食べた時、きっと初めてそれを味覚として感じたんだと思う。で、結果、今でも大好きだ。

 「これが自分だ」と決めている自分なんて実は曖昧な存在なのだ。
 だったら、そんな自分を否定してくれる他人を使って、どんどん変わればいい。
 そうして自分に新しい発見をさせてくれる人こそ、自分にとっては必要で大切な存在だし、そのためにもちゃんと聞く耳を育てることが大事なんだと思う。
 その姿勢を持ち合ってこそ、議論や対話が可能になる。

 ……久しぶりなので、長々と書いてしまった。
 本当は台本を書かなければいけないのに。

 とにかく腰が痛い。
 下北沢の事務所のイスが快適じゃないことが原因かも知れない。
 京都の自宅の仕事部屋では割と座り心地のいいイスで仕事していた。
 しかも、無意味にイギリス風の部屋だ。
 友達からは気持ち悪いと言われていた。

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 いくら雰囲気を作ったところで、座っているのは私なのだ。
 まあ、自分からは自分の姿は見えないので、それがどれくらい滑稽なのかは分からない。

 しかし、事務所も段々、私使用になって来ている。
 イギリス風ではないが、革が周りに溢れている。

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 しかし、この腰の激痛はやっぱりイスが原因だ。
 そう思って、Amazonでイスを注文してしまった。
 ああ、こうしてまたしても、ここは私の部屋化して行く。
 このままだと怒られる。
 だからいつでも撤収できるようにしておこう。
 いや、仕事机の周りはそんなに問題ではない。
 イスが快適になることは、誰にとっても悪いことではないからだ。
 
 きっと問題は……事務所の一角を占領しているこのコーナーだ。

IMG_7428.jpg

 
 全てレザークラフトの道具だ。
 これは……これは私にしかメリットのないコーナーだ。
 これから縮小して行こう。
posted by 土田英生 at 07:06| 東京 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする