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MONO代表・土田英生のブログです

2016年05月19日

自分のことは棚に上げて書く

 自分のことを棚に上げて書く。 

 今日はKAKUTAを観て来た。あ、その感想を書こうというのではない。なんだか「そうだそうだ」と勝手に感じたことがあったので、それを書くきっかけとして使わせてもらっている。きちんとショーアップされた演劇作品だったけど、名目はリーディング公演で、しかも今日の話は寓話だったので、普段の作品とは趣が違った。

 私がいいなあと思ったのは、誤摩化さずに稽古されていることが伝わったからだ。
 ここでこんなことしといたらいいや、というような演出はどこにも見当たらず、桑原さんが一つ一つ判断した痕跡が見て取れる。そのことにとても安心を覚えた。
 真摯に創っているんだなあと嬉しくなったのだ。
 エンターテイメントを創るのはこうでなくちゃね。

 演劇のお客さんが少ないと嘆く声を耳にする。
 けれど、敢えて言わせてもらえば、やっぱり面白くないものが多すぎるんだよね。もっと言えば、いい加減に創られているものが多いような気がする。
 
 心配になってきたので、この辺りでもう一度、挟んでおこう。
 自分のことを棚に上げて書いている。 

 台本を書くのだって、演出をするのだって技術は必要だ。
 それにはやっぱり真っ当に物事を判断するだけの知識を持っていなければいけない。

 例えば、普通にコメディを創ろうと思ったとする。
 設定を作り、そこにズレを生み出す。
 けれど、これがズレとしてしっかり機能する為には、ベースの設定に説得力がないと駄目なのだ。
 そしてベースに説得力を持たそうと思えば、知識に裏打ちされた常識がないとどうにもならない。さらには知識があっても、それをリアリティある形にするのに技術が必要なのだ。

 それができないと、荒唐無稽なものになってしまう。
 分かっている人が“敢えて”荒唐無稽なことをやるのは大丈夫だが、技術やセンスの不足で不条理になってしまうものは面白くない。「ここでこんなことしたら面白い気がする」という曖昧な判断では駄目なのだ。もちろん言葉で全て理解して創るということではない。けれど、コレでいいか悪いか、きちんと自分に問えば、自ずと分かってくるはずなのだ。

 私も作品を創っていて、違和感のある場所を、どうすればいいか分からずに終わることは多々ある。
 けれど、それでは駄目だということを自覚しておかないと、創るものがどんどん緩くなってしまう。

 いや、これは自分を棚に上げて書いているので、まあいい。
 私ももっともっともっと勉強が必要だし、技術も身につけなければいけない。
 それは肝に銘じておこう。
 
 普通に面白く見られるもの。
 それを創るには力が必要だ。
 頑張ろう、一つ一つ。

 明日、戯曲の講評を3本もするので、ずっとその作品を読んでいる。
 それでこんなことを書きたくなった。

 最後にもう一度書いておく。
 自分のことを棚に上げて書いた。
posted by 土田英生 at 01:32| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする