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MONO代表・土田英生のブログです

2016年11月26日

耳を塞ぐ

 自分と考えの違う人と話すのには労力がいる。

 話した結果、どちらかの考えが改められることももちろんある。
 お互い誤解していたねと、結果、同じ考えだったと分かって喜ぶこともある。
 また、最後まで違っていても、お互いの言い分を理解し合い、少しずつ譲って、『この辺りだったら双方が合意できるね』と、妥協点を見つけられることもある。

 けれど、いずれにしても……冷静に話し、お互いが理解し合おうという態度が前提になければどうにもならない。

 相手をやっつけるだけでは相互理解には到達しない。
 また、人は自分が正しいと思ってしまう生き物であり、攻撃されるとそれを守ることに執着してしまうのだということも分かって自分をコントロールしないと、自分に都合の悪い言葉は耳に入らない。

 そのコントロールする能力こそが理性であり知性だ。
 
 人間は動物のようには自然に生きられない。
 だからこそ、皆で、色々な『常識』を作り上げ、それを社会化することで共存しようとしてきた。
 そうした理性なんてどうでもいいと開き直った人には何を言っても通らない。
 どんなに正しい『事実』を告げようが、耳を塞いでいるので聞こえないし、別のことで粗探しをして反撃してくるだけだ。
 これは、どんな思想を持っていようが、こうなってしまったら『他者』と理解し合うことなどできない。
 そこにあるのは罵り合いだ。
 敵か味方か。
 問題はそれだけだ。
 もう内容は関係ない。
 
 日本全体がそうなってしまった。
 いや、世界がそうなっている。

 皆、自分の考えを補強して気持ち良くさせてくれる意見だけを取り入れ、自分と相容れない考えの人たちを罵る。もう事実なんかはどうでもいい。解釈次第でどうにでもなるからだ。

 そして、話はどんどん簡単になり、極端になっていく。
 原理主義というか、いや、ただ単純化して争っているだけだね。
 
 どう考えても明るい未来が待っているとは思えない。
 せいぜい出来ることは、冷静になろうと呼びかけ続けることくらいだ。

 大事なことは、ここはこうだけど、あそこは違うよね、と、しっかりと物事を見つめることなんだけどね。
 だって、100パーセント正しいなんてことはないのに。

 最近、日本人は素晴らしいなどというエピソードをやたら見せられるけど、実際には嫌なやつだっていっぱいるし。そんなに素晴らしいなら、国内で事件や揉め事なんて起きないはずなのにね。
 そうすると、今度は、そういう都合の悪い奴は外国人に違いないとか言い出すし。

 私はロンドンに留学していた時、いい人にたくさん出会った。
 けど、嫌な奴もいた。
 韓国で仕事をしていた時、いい人にたくさん出会ったし、いい思いもした。
 けど嫌な目にも遭った。
 中国でもそうだったし、アメリカでもそうだったし、高校の頃の姉妹校交換なんとかで行ったオーストラリアでもそうだったし、そんなこといったら、育った愛知県でもそうだったし、大学で京都に来てからもそうだっし、東京でもそうだし。
 時々嫌な目に遭うけど、幸せな体験の方が勝っているというか、どこでだってほとんどの人はいい人だった。
 文化や習慣に差はあっても、本質的な差異はない。
 
 自分と属性の近い人に味方したくなる気持ちはわかる。
 家族であるとか、出身地が一緒とかね。
 自分のアイデンティティーをそこに求めているから、きっと自分の一部なんだよね。
 
 けど、そんなこといっていたら世界は閉じるばかりだ。
 
 脚本を書いていて、そういうことばかり考えている。
 別に考えを披瀝しようとして作品を創っている訳じゃないし、エンターティメントとして楽しんでもらおうというのが最も大事なんだけど、どうしたって表現は社会に対するリアクションになるし。

 考えの違う人達に、どうしたら耳を塞がずにいてもらえるのか……。
posted by 土田英生 at 04:31| 京都 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする