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MONO代表・土田英生のブログです

2017年02月15日

自分の責任

 「ハテノウタ」は絶賛稽古中。
 私のせいで遅れてはいるが、それでも一歩ずつ進めるしかない。
 まあ、もう少ししたら三歩つづ進んでくれとお願いするかも知れない。
 役者やスタッフも焦っているだろうが、文句も言わず粛々とやることをやってくれている。
 本当、感謝だね。
 甘えてはいけないが、劇団で芝居を創る時には、つくづくありがたさを感じる。
 根本で信用してくれていることへの感謝だ。
 やっぱりメンバーが信用してくれていると、外から参加してくれている人も、安心するんだと思う。

 私も(多分、他の座付き演出家と同じ様に)気まぐれだし、わがままだ。
 自分イメージ通りに進まないと、ああしてくれ、こうしてくれと要求し、願いがかなわないと嫌になる。そのくせ、役者の工夫によって思った以上によかったりすると、「そうだそうだ」と、自分では想像もしてなかったくせに満足する。

 申し訳ないなあと頻繁に思う。
 そしてやはり、ありがたいなあと思う。

 私だって皆を信用しているし、やっぱり劇団で創る舞台はいい。
 何より真面目だしね。MONOのメンバーは。
 
 昨年、ある演出家と話していて、ちょっと腹が立つことがあった。
 「いやあ、うちは役者が力不足なんでねえ」と、その人は言った。
 「それはお前の責任だろ」と私は喉元まで言葉が出かかったが、かろうじて我慢した。

 いい劇団からはいい役者が何人も出てくる。
 それは当然のことだ。
 才能のある作家や演出家の元にいい役者が集まるということもあるけれど、それだけじゃない。
 劇団によってカラーがある。
 演技にしたって、許されること、許されないことが違う。
 基準がきちんとしているところからは、きちんとした役者が出てくるのは当たり前のことだ。
 
 演劇観や筋道もなくやっている演出家の元では、役者は絶対に伸びないしね。その役者に才能があったとしたら、勝手に伸びて、どこかでその演出家に見切りをつけるだろうね。
 
 だから、芝居を観ていて、取り立てて傑出した役者がいなくても、ダメな役者が一人もいない作品を見ていると、ああ、ここの演出家はまっとうなんだなあと安心したりする。逆に一人だけ突出してうまかったりして、他がダメな場合は、まあ、その役者個人の手柄だ。

 演出はひまわりに対する太陽のようなもんだね。
 花がきちんとした方向を向けるように、日を照らす。そのためには考えることも必要だし、明確な基準を携えて稽古場に臨むことが肝心だ。
 ちゃんとやっていれば、役者は伸びるはずなのだ。
 
 一つの作品に出演している役者全員に対してももちろんだけど、劇団なんて同じメンバーで活動を続けているわけだから、なおさら基準は大事だ。
 それは演出家の責任だと思う。
 
 例えばMONOでは一切アドリブはない。
 台詞の間のつなぎですら全部決めていく。
 稽古場で試して、台詞を足したり削ったりはするけれど、一度決めたら間合いも含めてしっかり稽古し、本番ではきちんとそれを出す。
 それが作り込まれた芝居の醍醐味だと考えている。
 正しいことかどうかは知らないけど、少なくともMONOの役者でアドリブをいう人はいない。
 それは劇団の一つのカラーだ。

 いつも出てくれている若い役者さんたちも、同じルールで芝居をやってくれるようになった。
 これでダメだったら、やっぱり私の責任だ。

 頑張ろう。

 明日は朝から関西の記者さん達の前で「ハテノウタ」の宣伝。
 そのあとは宮崎に向かって「板子乗降臨」の初日を見る。
 だから今日は徹夜だ。飛行機で眠ればいいしね。

 写真は稽古をしている京都芸術センターの駐輪場。
 全く関係ないな、文章と。

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posted by 土田英生 at 03:42| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする