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MONO代表・土田英生のブログです

2017年05月23日

もう終わりだという気分

 私はエンターテイメントを創りたいし、これまでだってそうしてきたつもりでいる。
 当然ながら私自身の考えなども作品の中には入ったりしているだろうが、基本的には人の愚かさや哀しみ、楽しさを笑いを交えて描いているつもりだ。
 自分の創る芝居を観てくれた人には“人の有様”を感じてもらえればいい。
 
 本当のことを言えば、今はとんでもなくバカバカしいことを描きたい。
 人の卑小さを大笑いできるような、そんなくだらないものを書きたい。
 けれど……社会がここまで歪んでくると、創作のバランスを取ることすら難しくなってくる。正直言って心が折れそうになる。

 このブログだってそうだ。
 本来は日常の中で起きた面白いことをつらつらと書きたいから続けているのだ。
 実際、なんども書きかけた。
 そして途中でやめた。ニュースを見てそんな気分でなくなってしまうからだ。
 だから一ヶ月も空いてしまった。
 
 ……もうこの世の終わりだという気分になる。
 それほどこの国はおかしなことになってきてしまった。
 言葉の価値や基準も崩れ、もう何が正しいのかは問題ではないようだ。

 政権支持率が落ちないのが不思議だと皆はいう。
 閣僚の不祥事やおかしな答弁、首相自身の解明されていないスキャンダル、これだけのことがあれば、これまでなら大騒ぎになり支持率はとっくに落ちていたはずだからだ。

 しかし、そうはならない。
 これは多くの人が……今の政権の方向と自分自身を一体化させているからだと思う。
 もう内面化しちゃってるんだよね。

 社会が完全に閉じて興奮状態になっている。
 だからスキャンダルの事実がどうなのかよりも、問題にならずに済めばいいという感情なんだと思う。
 加計学園や森友学園のことに関して「説明責任を果たしていない」と思っている人が世論調査では多数を占めているのにさほど盛り上がらないのはそういうことだ。

 指摘されていることが虚偽なのであれば、それをきちんと証明すればいいだけなのにね。
 もし事実であれば責任を取る。
 本当は簡単なことだ。
 それをすることなく、なんとなく済ませられそうな感じになっているのは、「そんなこといいから、このまま行ってしまえ」と皆が容認しているからだ。
 事実なんてどうでもいいのだ。
 興奮に水を差すなという感じなのだと思う。

 この「空気」こそが最も私を憂鬱にさせる。

 興奮している人には何も伝わらない。
 そこには冷静な判断などない。
 自分たちを盛り上げてくれる意見に対しては喝采を送り、反対意見を言う人に対しては感情的に攻撃する。
 興奮している人たちは声が大きいしねえ。
 すると大多数の、いわゆる「サイレントマジョリティー」はさらに口をつぐむ。
 変に目立って攻撃されたくないしね。
 マスコミだって直接的な政府の圧力がどうこう以前に、そうした空気を敏感に察知して静かになって行くのだ。報道されなくなれば、興味のない人たちは問題意識を持たない。
 こうして、社会の中には、興奮状態の人たちの声ばかりが聞こえることになる。

 共謀罪はそれ自体がとんでもない法案だが、私が最も怖いのは、この空気の中で、そんな法案が通ったら、本当に歯止めがきかなくなることだ。

 気に入らない意見を言う人に対して、誰かが犯罪の可能性を密告する。
 嫌がらせでもなんでもいいのだ。
 と、警察や検察が動く。
 その人に罪がなかったとしても、例えば取り調べを受けるだけで人は凹む。
 と、よっぽど度胸のある人しか、物事を言わなくなる。
 なるべく静かにしていようとする。
 直接、国から圧力をかけなくても、人々はお互いに監視し合っておとなしくなる。
 
 本当、この法案が通ってしまったら……ああ、怖い。
 これはダメだ。

 太平洋戦争の時だって、最初から皆が黙っていた訳でなない。
 段階を踏んでとんでもなくなって行ったのだ。
 官憲に拷問されたり、思想弾圧されたりもした事実を引き合いに出すと、「今はそんなこと起きるはずない」と言われたりする。
 けれど、そうした局面にまで到達する前は、つまり最初は「なんとなく容認する空気」があっただけだ。
 その空気に後押しされてああなって行ったのだ。

 この空気を生み出している要因はなんなんだろうね。
 きっと、今、みんな個人に自信がないんだよね。
 自分自身の回復を「日本はすごい」みたいなことに託そうとしている。
 テレビだってそういう番組ばっかりだし。
 そういう下地の上に、今の流れが出来てしまっている。
 今、「日本のここがダメだ」という番組をやったら、すぐに終わるだろうね。
 昔は結構あったのに。
 社会に余裕があったんだよね。
 それくらいでいいのに。
  
 当たり前のことだけど、「日本」という国は、国民主権なので私たち個人がまず最初にある。
 その個々が集まった総体が国であって、皆で話し合って決めて行くのが民主主義だ。
 誰かに支配されている訳じゃない。
 だから文句を言っても、それは自分たちに対して言っている訳であって、それは反日でもなんでもない。
 当たり前のことだ。
 もちろんこれまでの歴史や文化はある。それを受け継いで大事にして行くのはいい。
 けど、今、現在、ここに暮らす私たちが生き生きすることが一番肝要なのだ。
 だから皆が好きなことを言える環境であって欲しいと願う。

 演劇になんか社会を変える力はない。
 けれど、演劇を含めた表現というものは、まあ、簡単に言ってしまえば天邪鬼な存在にならざるを得ない。 
 「道化」なのだ。
 権力を茶化したり、それを笑ってもらったりする。

 このままだとどんどんダメになって行くよねえ……。

 こうした「空気」って、動き出すともうどうしようもないのかなあ。

 演劇の現場でもそうだよね。
 時にはとんでもない演出家もいる。
 役者に暴言を吐いたりして威圧するやつ。
 私が大嫌いなタイプだ。
 役者やスタッフが彼について「変だよね」と言い合っている間はまだいい。
 けど、あまりに怖いと、なるべく怒鳴られないようにという方向に動き出す人たちが出てくる。
 すると真っ当な文句を言う人が「そんなこと言っちゃダメだよ」と周りから怒られたりする。
 と、どんどん現場はその体制になっていく。
 
 独裁国家だって、独裁者個人だけの問題じゃない。
 周りがその体制を作って行く。
 
 だいたい、私たちは民主主義の国に暮らしているのだ。

 こんなこと書きたいんじゃないんだよね。
 私自身、個人的な問題で今はかなり大変なのに。

 今は京都にいる。
 前回も京都にいたけど、あれから東京にいて、やっと戻ってきた。
 と言いながら、またすぐに東京だけど。

 少しでも楽しいことをしようと、リビングのコーヒーテーブルを自作した。
 ちょうどいい大きさの物が欲しいと思って探していたのだが、見つけたものがとても高額だったので諦めていたのだ。
 階段の手すり用の材と、残っていたモールディング材を使って作った。
 
IMG_6140.JPG


 今日は3年ぶりに歯医者にも行った。
 先生から「新聞で見ましたよ。小説出したんですね。買おうと思ってたら予約の電話があって驚きました」と言われ、色々と喋りたかったが、口を開けているのであまり話せなかった。
 歯の穴を塞いでもらったので、帰りに美味しい豚カツも食べた。一人だったので小さな声で「ああ、美味しい」とつぶやいてみた。
 そして気分を盛り上げようと思って一時間半歩いた。
 途中の公園で子供達に呼び止められ、なぜか一緒に遊ばされた。

 遊んでいたら泣けてきた。

 けど、けど。
 まあ、負けずにやらないとね。
 一緒にいてくれる仲間もいることだし。
 楽しいことを書きたい。
 私はやっぱりエンターテイメントを創りたい。
posted by 土田英生 at 04:19| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする