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MONO代表・土田英生のブログです

2017年12月03日

MONO『隣の芝生も。』

 本当は東京に行くつもりだったのだが、打合せが一日延びたので昨日の夕方から身体が空いた。
 朝から近所を散策。
 紅葉も終わりなので大悲閣に行った。
 家から歩いて15分くらいなのだが、坂がすごい。結構息切れする。

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 けど、紅葉も楽しめた。

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 この前、北海道で戯曲講座をやった時、担当の人から『Twitterの写真が妙にきれいですね』と言われた。
 写真が上手という意味ではない。
 けれど言いたいことは分かった。

 私のiPhoneはカメラが壊れている。
 なので写真を撮ってアップすることができないのだ。
 で、代わりに一眼レフをカバンに入れていて、それでしょっちゅう写真を撮っている。それをiPhoneに飛ばし、それをアップしているから、背景がボケていたりするのだ。
 ちなみに大悲閣に登る時、その手前の屋台で厚切りベーコンを食べたが、それもこんな風になる。

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 昼頃に家に戻ってお風呂にゆっくりと浸かった。
 そして午後からはMONOの次回公演『隣の芝生も。』の構想を練った。
 
 よく「最新作が最高傑作です」という言葉を聞く。
 気持ちはわかる。
 常に成長していたいし、今、考えていることが最も面白いことであるべきだからだ。
 けれど、と思う。
 やっぱりうまく行く時もあれば、そうじゃない時もある。
 あれは……なんだろうね。
 
 モチベーションの高さだという気がしている。
 もちろんいつだって一生懸命書いているつもりだけど、むしろ書き出す前にどれだけ高められるかが重要な気がする。
 
 今回の登場人物は10人。
 MONOでは多い方だ。

 MONOメンバーに加え、この前終わったばかりのMONO特別企画『怠惰なマネキン』に出ていた5人が出演することになっている。
 これは……去年から、いや、私個人としてはもっと前から密かに考えていたことだ。
 プロデュース公演ではなく、劇団ならではの公演。
 だから共通認識を持って作品を創りたい。
 5人とは12月からクローズドのワークショップを繰り返した。
 その流れで特別企画をやった。最初はあと二人に声をかけていたのだが、それぞれ事情があって離れちゃったんだよね……。
 
 5人とは12月にもちょっとだけワークショップをすることになった。
 公演を終え、また、MONOの本公演に向けて色々と補強する為だ。

 MONOがある意味で変わらず、それでいて新鮮に前に進む環境を作りたい。
 もっともっと面白くしたい。
 長くやっているだけの劇団にはしたくない。
 それこそ、最新作が最高傑作になるように、だね。
 
 『隣の芝生も。』は二つの話が別々に展開するけれどオムニバスではなく一本の話。
 ヒントになっているのはウッディアレンの『重罪と軽罪』。
 目指しているのは徹底的なウェルメイド作品だ。

 東京、名古屋、大阪を始め、何箇所かツアーする予定なので……みなさん、よろしくお願いします。

 消しゴムの写真を載せて終わろう。
 前に……誕生日にもらったヤツだ。

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posted by 土田英生 at 00:18| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月06日

ブログで書くこと

 仕事柄もあるんだろうけど、とにかく文章を書くと気持ちが整理できる。
 それもあって、この「土田頁」は長く続いているんだと思う。
 私はしょっちゅう混乱する性格だし。
 とにかくここを更新すると落ち着く。
 情報発信などではなく、完全に自己救済の道具になってる。
 
 けど、ブログには「人に読まれる 」という前提がある。
 例えば腹が立つことがあって、それをそのまま書くと当事者が読んだら困るだろうなと想像してしまう。だから詳細をぼかしたりして書いたりするんだけど、そりゃ……分かっちゃうよね。
 なので、本当にプライベートなことなどは誰も読まないところに書いたりしている。

 でも、やっぱりブログに書いた方が整理できるんだよね。
 どうしてだろ?
 そもそもブログを書くとはどういうことだ?

 こうなったら今更ながら言葉の意味から辿ってみる。
 皆が知っていることだけど、web-logという言葉が詰まってblogになった。
 webはクモの巣という意味。
 インターネットが張り巡らされるいうイメージからwebと呼ばれるようになった。
 アドレスにあるwwwはworld wide webの略だしね。つまり世界に張り巡らされたクモの巣だ。
 で、logは航海日誌。
 最初はlogbookと呼ばれていたようだ。
 昔、船のスピードなどを計るのに、『chip log』という、木の切れ端を使った道具を用いていたので、航海記録をつけたものをlogbookと呼ぶようになったらしい。これは今調べた。

 だからblogは『世界中に張り巡らされたクモの巣ようなインターネット上に書く日記』だ。
 
 壮大に始まった割に「結局、最後は日記かよ」という感じだ。
 「誰にでも読まれる可能性のある日記」であることに変わりない。
 言葉を辿ったところで、新しい発見は何もなかった。

 問題はどうして読まれる可能性のある所に書きたいのかということだ。
 一つは……そうした可能性を考慮することで、客観的な視線を持てるということだ。
 感情だけで走れないので、自分の気持ちを整理するのに役立っているのかも知れない。
 そしてもう一つは、やはり読んでもらいたいからだね。
 けど、私のブログを読んだところで役に立つことは何もないしね。
 換気扇の油汚れを劇的に落とす方法とか書いてないし。
 世界中に張り巡らされたクモの巣ようなインターネット上に、中途半端な劇作家が、いつものような愚痴を書いているだけだ。

 仕方ない。
 今日も愚痴を書こう。

 人は一人では生きていけない。
 他人を必要をする。
 けれど、こっちが求めるものと相手が求めるものが違うと不幸になる。
 自分のことを正確に分かってもらおうとすればするほど悲劇は起きる。相手を追い詰めたくはないのに、結果的にそうなってしまう。それに……どんなに言葉を尽くしても、正確には伝わらないしね。
 
 昔、そのことを「悔しい女」という芝居に書いた。初演は青年座で高畑淳子さんに向けて書かせてもらったが、主人公の優子はまさしく私の姿だった。
 ラストになんとかして優子の変化を書きたいと思った。
 けれど、最後まで優子は変わらずに幕が降りた。
 方法が見つからなかったのだ。
 
 今日は1日中、人が変わるということを考えていた。
 他人を変えようとすることは傲慢なんだよね。だったら自分が変わるしかない。

 世界中に張り巡らされたクモの巣ようなインターネット上に書けるのはこれくらいだな。
posted by 土田英生 at 02:25| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月07日

解脱

 今日も1日、瞑想状態で過ごしてしまった。
 夜に人と会ったので、ご飯を食べることができたけれど、それまで何も口にせずにじっとしていた。昨日も全く同じパターンだった。このままでは生き仏になってしまう。

 私は悩み出すとしつこい。他のことが全く手につかなくなる。
 よくもまあ、自分のことについて、これだけ考えられるなと笑えてくる。
 だからこんな仕事してるんだけどね。
 自分が好きじゃないとこの仕事はできないね。
 台本を書いている時も、ずっと自分のことは考えてるし。
 そういう意味では私にとって適職だ。
 
 昔、ぴあ関西版で「自分好き」というタイトルでエッセイを連載をさせてもらっていたこともある。スイスイと書けた。自分のことを書いていればいいんだし。連載が終わった後には単行本になり、「自家中毒」というタイトルで出版してもらった。 けれど、その次に始まった「他人好き」という連載は苦労した。……自分ほどは他人が好きじゃなかったんだね、きっと。
 
 話がそれた。

 苦しんで考えているとフッと抜ける瞬間がやってくる。
 それを何回か繰り返すと少しずつ浮上してくる。昨日、今日とずっと考え続けていたおかげで、何度かそういう瞬間があり……執着していた考えが剥がれ落ちて行くのが分かった。
 
 解脱した。
 もう大丈夫だ。
 
 私は基本的に褒められて育った。
 そのことは親に本当に感謝している。
 ベースに自分への信頼を植えつけてもらったからだ。

 自分を信頼できないと悩むこともできないんだよね。
 悩むことができないと解決できないまま、無意識の中にいつまでも問題が残ってしまう。
 それが見えない形で自分を後ろに引っ張り、さらに自分を信頼できなくさせていくのだ。
 
 昨日、ブログは誰かに読まれるから難しいと書いたけど、今日は開き直って読まれる前提で書いている。

 劇作家だろうが、役者だろうが、つまり表現者にはコンプレックスがつきものだけど、最終的な自分への信頼がないとキツイんだよね。ベースに信頼がないと自由になれないのだ。固定概念も自分に対する信頼がないところから生まれてくる。

 まあ、けど、自分を信頼するというのは、とても難しい。

 どうしたって成長過程で刷り込まれてしまう。

 親から暴力を振るわれていたり、育児放棄されていたり、逆に過保護に育てられたりすると「自分を否定する子」になりやすいと、心療内科の先生から聞いたことがある。
 
 昔、よく読んでいた吉野弘さんの詩。
 詩集は全部持っていて、今でも時々パラパラとめくるのだけど、中に「奈々子に」という作品がある。

 一部を引用する。

 
「唐突だが奈々子
 お父さんは お前に
 多くを期待しないだろう。
 ひとが
 ほかからの期待に応えようとして
 どんなに
 自分を駄目にしてしまうか
 お父さんは はっきり
 知ってしまったから。

 お父さんが
 お前にあげたいものは
 健康と
 自分を愛する心だ。

 ひとが
 ひとでなくなるのは
 自分を愛することをやめるときだ。

 自分を愛することをやめるとき
 ひとは
 他人を愛することをやめ
 世界を見失ってしまう。

 自分があるとき
 他人があり
 世界がある

 お父さんにも
 お母さんにも
 酸っぱい苦労がふえた

 苦労は
 今は
 お前にあげられない。

 お前にあげたいものは。
 香りのよい健康と
 かちとるにむづかしく
 はぐくむにむづかしい
 自分を愛する心だ。」

 

 
 私は元気になってきた……はずだ。
 少なくとも自信は戻ってきた。

 流れにくかった浴室の配管も業者さんに掃除してもらったし、有料の大型ゴミも出した。
 iPhoneも新しいのに変えたのでカメラも使えるようになったし、近所にできた「餃子酒場」という店が意外に美味しいことも分かった。

 いいことずくめだ。
 締切も迫ってきているので仕事もしよう。
 生き仏になっている場合ではないのだ。

 いや、仏になろう。
 違うな。
 煩悩だらけで間違った人間だけど、仏のように人や仕事を愛そう。
posted by 土田英生 at 04:38| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

ガンガン行く

 朝方になってここを更新するのが日課になってきてしまった。
 と、言っても三日目だけど。
 同情をひくような、当てつけがましい愚痴が多いので、もうやめよう。

 ……私は自虐が多いと言われる。
 まあ、その方がリスクが少ないんだよね、責められなくて済むから。
 取材をしてもらっている時でも、だいたい後ろ向きな発言をしてしまうし。
 「そんなことないですよ」と、言ってもらうのを期待してるんだと思う。
 嫌なヤツだ。
 
 3年前になるけど、ソウルのLGシアターで「少しはみ出て殴られた」を上演してもらった。
 韓国で人気のある俳優たちが集まり、かなり大きなプロダクションでの上演だった。
 私は初日に合わせて劇場へ行った。
 終わってから皆で飲んでいた時だ。
 スタッフたちと話していて「いやあ、よくもまあ、私なんかの、こんな作品をやってくれて」というようなことを冗談めかして喋っていたら、
 「どうしてそんなことを言うんですか? 私たちは面白いと思ってこの戯曲に取り組んでいるんです。自信作だと言ってくださいよ」と怒った人がいた。

 私は必死で弁解したが、確かにそういうことをすぐに言うね、私は。

 当たり前だけど、自分で創るものは面白いと信じている。
 そう思わないと書けないし。
 ただ、好みは人それぞれだろうしなあ、と考えてしまうんだよね。
 
 一時は自信の塊だった。
 学生劇団の時は台本を書いたこともなく、その気もなかった。書き出したのは劇団を結成してからだ。
 けれど、書き始めてすぐ、私はやれるのではないかと錯覚した。
 ま、勘違いした自信だったと思うけど、それでも自分はやっていけると思った。

 その頃はとにかく攻撃的な性格で、他の人が創る芝居にも文句ばっかり言っていた気がする。
 稽古場でも思い通りに進まないとすぐにイライラした。
 ダメ出しで興奮し、怒鳴りながらメガネをどこかに投げ、最後に「メガネはどこだ!?」と大声で叫ぶ理不尽さだった。
 扇町ミュージアムスクエアで本番前にわめき散らし、劇場の外に出て泣き、劇場関係者の話題をさらったのもいい思い出だ。

 ……よくもまあ、メンバーはやめずに付いてきてくれてるなあと思うね。

 やがて……京都の演劇が注目を浴び始め、私の周りは戯曲賞ラッシュ。
 しかし私は落ち続けた。
 そこで初めて凹み、完全に自信を喪失した。
 自分の態度とか才能について冷静に考え込んだ。
 けれど、なぜだか、その頃から仕事が増え始め、それこそ芸能界の仕事やテレビドラマなども書くようになった。自分ではダメだと思い始めていたのに仕事は増える。
 その矛盾に悩んだ。
 状況の変化に疲れて……鬱になった。
 そしてロンドンに留学。
 今でも本当にロンドンには感謝している。あの一年で落ち着いたし、人間としても随分と成長した。
 
 戻ってきてからはかなり温和な性格になった。
 稽古場でもかなり優しい演出家だと思う。

 だけど……その頃からだよね。同情をひくような自虐を連発するようになったのは。
 なんだろ?
 自分の攻撃性を和らげる方法だったんだろうか?
 ま、何かしらの理由があってのことだと思うし、これからも劇的には変わらないと思うけど、そういう自分にも飽きてきた。
 
 自信持って書こう。
 そして自虐を減らそう。

 9日には締切がある。ここを乗り切らないとスケジュールが狂ってしまう。愚痴をこぼしている暇などないのだ。本当は京都に戻ろうと思ってたけど、そんな暇はないのでとにかく書き上げるまでは下北沢で頑張る。

 遠くをしっかりと見つめ、こらからガンガン面白いものを創ってやる。
 今度取材を受ける機会があったら、自虐なしで喋る。

 もしかしたら、次の稽古場ではメガネを投げるかもしれない。
 
 まあ、それはないね。
 人には優しくしよう。

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 このクマには意味はない。
 ただ、いつからか、この事務所にいるな、こいつ。
posted by 土田英生 at 04:48| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月11日

犬たちに会いたい

 昨日の朝は脚本の締切だった。
 仕事の詳細は公表できないけど、9月の終わり頃から書いている。
 だいたい、各話の初稿を一週間で書き、打合せをしたら三日くらいもらって修正、さらに打合せをしてまた三日くらいで直す。つまり1話が完成するのに二週間くらいの計算だ。

 計算で行くとすでに5話分は出来上がっているはずだったのだが、随分と遅れてしまった。

 今回は初稿の締切だった。
 これが一番大変なのだ。ラストまで書けたものを修正するのは、案外楽なのだが、最初の稿はどうしても時間がかかるし、進まない時は全く進まない。

 予定では遅くとも朝の9時には提出。一度眠ったあと、夜に打合せ。翌朝に京都に帰るはずだった。
 そうなんだよね。京都には戻らないといけない。
 ロンドンに留学していた時、英語の個人レッスンをしてくれていたSheilaが京都に来ているので会いたいのと、この前、京都にいた時のゴミを出したいのだ。
 可燃ゴミは火曜日と金曜日。
 だから月曜の夜にはどうしても戻りたい。

 けれど……間に合わなかった。
 半分も書けなかった。
 謝った。もう京都に帰るのは諦めていた。

 それでも一応、夜に打合せをすることになり……。
 いやあ、本当に皆、優しい。
 書けなかったけれど誰からも怒られることもなく、しかも京都にも戻れるように予定を組んでくれた。
 私が「ゴミを、ゴミを出したいんです」と繰り返し訴えたからかもしれない。

 打合せのあと、恒例の焼肉に行き、そこで結構飲んだ。
 いい気分で帰ってきて眠った。

 なのに……。

 夢を見て飛び起きてしまった。
 なんであんな夢を見たのだろう?

 これまで実家で飼って来た犬たちが一堂に登場している夢だった。
 芝生に座っている私を、犬たちが囲んでいる夢だ。
 どの犬も私に尻尾を振っている。

 「え? あれ? そっか、お前たち、生きてたんだっけ?」
 そう言いながら私は犬たちを撫でていた。

 しかしだ。
 撫でているうちに「いや、違う」と思った。
 「死んでるんだよね」と気づくと犬たちは消えていく。
 私は必死で名前を呼んだ。
 ……そのまま目が覚めた。

 で、眠れなくなってしまった。

 書いたことがあるかもしれないが、うちの実家にはやたら犬がいたのだ。

 父親が保健所に連れて行かれるトラックを見かけて引き取ってきてしまったり、私や妹も野良犬を見かけると連れて帰ってきていた。しかも近所で飼われている犬も、なぜか昼間はうちに遊びに来ていたので、うちの庭はもう犬だらけだった。
 
 全部合わせたら、犬ぞりが引けるくらいいたね。
 トラ、クマ、ゴロ、チロ、エス、もんた、タロ、ペル、メリー、ナッツ、ログ……もっといたはずだ。

 それぞれに思い出がある。
 どの犬も可愛かったが、すでに亡くなっている。

 最初にショックを受けたのはゴロの死だった。
 ゴロは野性味溢れる犬で、隙を見ては逃げ出すやつだった。三日くらい戻ってこないことはしょっちゅうだったし、ゴロの捜索をすることが頻繁にあった。
 逃げた先でいろんな犬と喧嘩したり人を噛んだりするのだ。
 ゴロのしでかしたことで、うちは何度も怒鳴り込まれた。
 
 そんな犬なので、人に尻尾を振って懐いてくるなんてことはなかった。
 父親のいうことはなんとか聞いていたし、ご飯をくれる母親にも多少は愛想を振りまいたが、小さかった私のことは全くもって無視だった。
 近づくと唸られ、撫でたりすると噛まれたりもした。
 私はこいつをライバルだと思って、いろんないたずらをした。
 けれどいつも負けた。
 私が持っていたお菓子は必ず奪われた。

 けど、もともと体力のある犬だったせいか16年も生きた。

 私が小学6年の時、ゴロが倒れた。
 老衰で足が立たなくなり、寝たきりになった。やがて食べる力も失った。
 普通の犬ならそこで亡くなっていたと思うが、心臓が強いのか死ねないのだ。

 夏休みだったので、私はゴロを看病した。
 卵と牛乳を混ぜたものを飲ませ、毛が抜けてただれた体に薬を塗った。
 ゴロは私に向かって「クーン」と甘えた。潤んだような目をじっと私を見ている。
 悲しくて仕方なかった。
 あんなに強かったはずのゴロがこんなことになっている。

 ある朝、ラジオ体操から帰ってくるとゴロが亡くなっていた。
 家を出る時には撫でたらこっちを見ていたのに。
 私は自分がラジオ体操に行ったことを猛烈に後悔した。
 
 エスもそうだった。
 人懐っこい犬で、途中で人にもらわれて行った。
 けれどある台風の夜だった。
 玄関で音がする。
 私は起きて開けると、そこになぜかエスがいた。
 しばらく撫でて、帰らそうとしたが、頑なに帰らない。
 父親を起こして、エスを寝かせた。

 朝、エスは亡くなっていた。
 会いに来たんだと思うと、たまらない気持ちになった。
 一晩中、横にいてやればよかったと後悔した。

 ……こんなこと書き出したら、犬の数だけ書かなければいけなくなる。
 やめておこう。
 
 夢の中で、最後まで私の横にいたのはナッツだった。

 ナッツは私が大学入学後、京都に行ったあとに実家で飼った犬なので、実際は一緒に過ごしていない。
 けれど、どういう訳だか、私にも異様に懐いた。
 私はナッツに会いたいが為に帰ったりしていたし、帰ると必ずナッツと遊んだ。
 人の様子に敏感な犬で、言葉もよく理解したし、私が落ち込んでいる時などは決して尻尾も振ってこなかった。ただ、近くに寄って来て、いつまでも私の手を舐めてくれていた。
  
 実家に帰る時は駅まで車で親に迎えにきてもらっていたのだが、車が家に着くとすでに飛び跳ね、一目散に駆け寄ってきた。どうして帰ってくることがわかるんだろうといつも家族で言っていた。

 ああ……。

 ナッツの最期も悲しかった。

 ある時、妹から電話があった。

 「ナッツがいなくなった」
 
 私は仕事をほったらかして実家に帰った。一週間以上はいたと思う。
 情報を聞いては探し回った。

 ……ナッツは白内障で目が見えなくなっていた。さらに終わりの方は耳まで聞こえなくなっていた。
 にも関わらず、近づくと尻尾を振って寄って来たし、相変わらず手を舐めてくれる犬だった。
 
 交差点で車に囲まれ、右往左往しているナッツを見たという人もいた。
 目も耳もダメだったので、どうしていいのかわらかなかったんだと思う。
 それを想像すると、今でもいたたまれない気持ちになる。
 
 私が京都に戻って一週間後、用水路に落ちて亡くなっていたという電話をもらった。
 冬だったので心臓麻痺だったと思う。苦しまずに死んだと思いたい。
 綺麗な体のままだったらしい。
 連れて帰って弔ってあげられたのが唯一の慰めだ。

 ……夢の中のナッツは元気だった。
 ああ、会いたいね。
 夢の中では久しぶりに撫でてやれたし、それだけでも嬉しかったけどね。

 ダメだ。
 犬のことを考えると距離感を失ってしまう。

 眠ろう。
 そして起きたら準備して京都に戻る。
 ゴミも出さないといけないしね。

 ゴロと私。

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 そしてナッツ。

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posted by 土田英生 at 04:28| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする