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MONO代表・土田英生のブログです

2017年12月07日

解脱

 今日も1日、瞑想状態で過ごしてしまった。
 夜に人と会ったので、ご飯を食べることができたけれど、それまで何も口にせずにじっとしていた。昨日も全く同じパターンだった。このままでは生き仏になってしまう。

 私は悩み出すとしつこい。他のことが全く手につかなくなる。
 よくもまあ、自分のことについて、これだけ考えられるなと笑えてくる。
 だからこんな仕事してるんだけどね。
 自分が好きじゃないとこの仕事はできないね。
 台本を書いている時も、ずっと自分のことは考えてるし。
 そういう意味では私にとって適職だ。
 
 昔、ぴあ関西版で「自分好き」というタイトルでエッセイを連載をさせてもらっていたこともある。スイスイと書けた。自分のことを書いていればいいんだし。連載が終わった後には単行本になり、「自家中毒」というタイトルで出版してもらった。 けれど、その次に始まった「他人好き」という連載は苦労した。……自分ほどは他人が好きじゃなかったんだね、きっと。
 
 話がそれた。

 苦しんで考えているとフッと抜ける瞬間がやってくる。
 それを何回か繰り返すと少しずつ浮上してくる。昨日、今日とずっと考え続けていたおかげで、何度かそういう瞬間があり……執着していた考えが剥がれ落ちて行くのが分かった。
 
 解脱した。
 もう大丈夫だ。
 
 私は基本的に褒められて育った。
 そのことは親に本当に感謝している。
 ベースに自分への信頼を植えつけてもらったからだ。

 自分を信頼できないと悩むこともできないんだよね。
 悩むことができないと解決できないまま、無意識の中にいつまでも問題が残ってしまう。
 それが見えない形で自分を後ろに引っ張り、さらに自分を信頼できなくさせていくのだ。
 
 昨日、ブログは誰かに読まれるから難しいと書いたけど、今日は開き直って読まれる前提で書いている。

 劇作家だろうが、役者だろうが、つまり表現者にはコンプレックスがつきものだけど、最終的な自分への信頼がないとキツイんだよね。ベースに信頼がないと自由になれないのだ。固定概念も自分に対する信頼がないところから生まれてくる。

 まあ、けど、自分を信頼するというのは、とても難しい。

 どうしたって成長過程で刷り込まれてしまう。

 親から暴力を振るわれていたり、育児放棄されていたり、逆に過保護に育てられたりすると「自分を否定する子」になりやすいと、心療内科の先生から聞いたことがある。
 
 昔、よく読んでいた吉野弘さんの詩。
 詩集は全部持っていて、今でも時々パラパラとめくるのだけど、中に「奈々子に」という作品がある。

 一部を引用する。

 
「唐突だが奈々子
 お父さんは お前に
 多くを期待しないだろう。
 ひとが
 ほかからの期待に応えようとして
 どんなに
 自分を駄目にしてしまうか
 お父さんは はっきり
 知ってしまったから。

 お父さんが
 お前にあげたいものは
 健康と
 自分を愛する心だ。

 ひとが
 ひとでなくなるのは
 自分を愛することをやめるときだ。

 自分を愛することをやめるとき
 ひとは
 他人を愛することをやめ
 世界を見失ってしまう。

 自分があるとき
 他人があり
 世界がある

 お父さんにも
 お母さんにも
 酸っぱい苦労がふえた

 苦労は
 今は
 お前にあげられない。

 お前にあげたいものは。
 香りのよい健康と
 かちとるにむづかしく
 はぐくむにむづかしい
 自分を愛する心だ。」

 

 
 私は元気になってきた……はずだ。
 少なくとも自信は戻ってきた。

 流れにくかった浴室の配管も業者さんに掃除してもらったし、有料の大型ゴミも出した。
 iPhoneも新しいのに変えたのでカメラも使えるようになったし、近所にできた「餃子酒場」という店が意外に美味しいことも分かった。

 いいことずくめだ。
 締切も迫ってきているので仕事もしよう。
 生き仏になっている場合ではないのだ。

 いや、仏になろう。
 違うな。
 煩悩だらけで間違った人間だけど、仏のように人や仕事を愛そう。
posted by 土田英生 at 04:38| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする