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MONO代表・土田英生のブログです

2008年11月13日

秋は夜長だが、私には朝が長い。

 こんな時間にすっかり目が覚めてすっきりしてしまっている。
 まだ朝の5時前。
 さすがに外に出るわけにもいかない。
 困った。

 長い、朝が長い。

 だからきっと文章も長くなる。
 
 いつもロンドンへ来ると友達との予定でいっぱいになってしまい、ただ順番に皆に会って終ってしまうということが結構ある。しかし今回はなるべく1人でリラックスすると決めて来た。

 だから昨日は誰とも会わないことにして、朝から1人で久しぶりに街中をブラブラした。……予想外に楽しかった。買い物をしたり美術館を巡ったりと、まるで初めて来た時のように浮かれた。どういう訳だか1人でいると色んなことを思い出すもんだ……。

 靴を買った。
 そして履いてきた靴は捨てた。
 最初から捨てるつもりで日本では全く使ってない物を履いて来たのだ。
theshoes.jpg
 留学した時にこっちで買い1年間大活躍した靴だ。ボロボロなのにちょっとだけ捨てづらかった。だから……ロンドンで捨てるのが似合っている。

 ニューボンドストリート。パディントンと違って綴りで困らないNew Bond Street。この周辺にはとにかく店がたくさんある。で、なぜかここにはチャーチルとルーズベルトが談笑している像があるので、浮かれていた私はその談笑にちょっと参加してみたりもした。
P1010063.JPG


  ピカデリーサーカス周辺を歩いていた。パディントンのように綴りで困るピカデリー。Paddingtonは《しつこいd》と《いらない気がするg》で困るが、Piccadillyは《cとlが両方しつこい》ので嫌だ。私は間違えて《控えめなd》を2つ書いてしまったりすることもある。

 で、そのピガデリーサーカスの周辺でふとあるカフェが目に入った。
『あ、ここだ!』と思った。
 留学中に悩まされた『ニック』に声をかけられた店だ。そしてまさにこのテーブルだ。簡単にいえば私はここでニックにナンパされて、それから留学中ずっと電話やメールに悩まされたのだ。
piccadilly.jpg
 とにかくそのテーブルを見つけて感慨深かった。写真を撮った。おじさんが座っている場所がそのテーブルだ。

 事情が知りたい方は以下の文章を。

 ……2003年の冬。

 私がここでお茶を飲んでいると、隣に人の良さそうな白人のおじさんが来て「座っていいか?」と聞いていた。店内は禁煙だったのでタバコを吸いに出て来たのかと思ったのだ。

『どこから来たの?』『日本です』『私は京都が好きなんだよ』『え? 僕京都に住んでるんですよ』

 こんな感じで会話は始まった。
 しかし人はいつまでも喋っている。

『え? 店内に戻らなくていいんですか?』
『いや、私はひとりだから』

 と……コーヒーが運ばれて来る。
 え? このおじさんはここでお茶を飲むのか? 私と同じテーブルで?

 おじさんは質問を続けて来る。

『なんでここに来てるの? 誰と来てるの?』
『1人で演劇の勉強に』

 と、彼の目が輝いた。

「じゃあ、寂しいだろう? 俺も独身なんだ。色々あったが機会を逃してね。でも一人の生活は楽しいよ。ベイカーストリートに3ベッドルームのフラットを持っていてそこで暮らしてるんだよ』

 私は黙って聞いていた。
 すると彼は申し訳なさそうな表情で言った。

『あ、……せっかくお茶を1人で楽しんでたのに邪魔しちゃって悪いね」

 何だか背中が寂しそうだ。私は明るく言った。

『いえいえ、英語を何とかマスターしたいと思って勉強中ですから、いい機会ですよ』

 ニックの表情が輝く。

『そうか。ロンドン生まれのロンドン育ちだから俺と喋ればイギリス英語はマスター出来るよ』

 私は笑ってありがとうと言った。
 彼は笑顔のまま続けた。

『だから君がいい時には言ってくれればいつだって会える』

 一瞬、んん? と、思ったが私はこれを冗談だと解釈した。

『じゃあ、毎日無料でレッスンしてもらいますよ。ハハハ』
『来週の予定は?』
 
 ……彼は真顔で聞いて来た。

 ……ここで私は困った。
 どういうことだ。冗談ではないのか?

『え? どういうことですか?』
『今日でもいいよ。とっておきのパブに連れていってあげるよ』
『いやいや、これから人に会うので』

 鈍い私は、ここで初めてナンパされているのではないかと疑った。

『誰に会うの?』
『女性です! 彼女に夢中なんです! 女好きで困ります』

 “女好き”を必死で強調する。
 しかし彼は全く表情を変えず、
「男はみなそうだよ」と笑うのでちょっと安心した。
 なんだ、やっぱり違うのかも知れない。

『で、来週の予定は?』

 ……しかししつこい。

『月曜はダメで……木曜も、金曜も……』

 人間咄嗟には嘘がつけない。しかも英語なのだ。

『じゃあ、今週の水曜だね。ベイカーストリートのブーツで待ち合わせよう』
『……』
『まずはパブへ行って、その後は私の家に来るといい。おいしいスープを作ってあげるよ。部屋はたくさんあるから、泊まってもいいし……君の好きにすればいい」

 ……この辺りでもう私の英語が出て来なくなった。
 彼は紙に自分の住所と電話番号を書いて渡して来る。
 まずいことに私のテーブルには私の携帯が置かれたままになっていた。携帯の番号を聞かれて、持ってないとは言えない。更に表面上はあくまでも優しい紳士で、親切に私に喋っているだけなのだ。私も最初はずっと愛想よく喋っていた手前、その流れが切れない。上手く断れない。
 ……結局携帯の番号を教えてしまった。そしてどうやら本当に水曜日に会うことになっている。

『……君の趣味は?』彼が聞く。
 力を込めて私は怒鳴った。

「女です!!』

 隣の人が振り返ったがこの際いい。
 しかし彼はその言葉には反応しない。

『……一人は楽しいんだけど、時々寂しくてな』

 ニックは呟くように言う。
 私は少し反省した。
 いやいやいや、本当に寂しく優しい紳士なのかも知れない。
 ちょっとほろっと来たりもする。
 
 しかし……約束をさせられた私は胃の辺りに重いものを感じながら別れた。
 
 知り合いに相談した。
『ただの寂しいおじさんですよね?』
 願いも込めて質問をしてみる。
『いや、それは……ゲイのナンパね』
 あっさり予想通りの答えが帰って来てしまった。
『僕の方が喧嘩は絶対に強いと思うんですけど……だから誘われても……』
『薬でも入れられたりしたら終わりだしねえ』
 彼女は私の希望を打ち砕いた。

 次の日。ニックに電話をした。

 電話もやめた方がいいと皆には言われたが、どうしてもそれは気持ち悪かった。
 例えば百分の一の可能性でその人が本当に寂しいただのおじさんで、私との約束を純粋に楽しみにしていた場合……彼は水曜日に待ちぼうけを食わされることになるのだ。

 『おお、ヒデオか』嬉しそうな声がする。偏見を持ってしまったせいか、艶っぽい声に聞こえてしまう。
 私は必死で嘘をついた。

『あの、ちょっと……演劇のことで、急にエジンバラに行くことに……」
『は? いつから?』
『明日から』
 ……バレバレの嘘だ。
『いつまでエジンバラに?』ニックは聞く。
『長く、長く……あの……来月まで……』
 
 こうして一旦は落ち着いた。
 しかし一ヶ月後
『もう帰って来てるよね?』というメールが来た。
 それを皮切りに頻繁にテキストメールや電話がかかって来た。

 最後はかなりしつこかったが私もはっきりと断った。

 しかしアレには随分と悩まされた。
 
posted by 土田英生 at 15:21| ロンドン ☀| その他 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする