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MONO代表・土田英生のブログです

2017年02月13日

掘ったら出てくる

 稽古から戻り……土をいじっていたら、やっと何かに触れた。
 少しだけ手で周りの土をどけてみると、確実に何かがあった。
 それを見極めてから、コーヒーを飲みながら休憩中。
 まだ安心はできないけど、大丈夫な気がする。
 これから《何か》をしっかり掘り出す作業をする。

 土をいじっていたというのも、掘り出すのも、当然ながら比喩だ。
 台本のことだ。

 完全に自分のせいだけど、いろいろあってかなりスタートが遅れた。
 それが悪かったのか……。
 「ハテノウタ」という作品が何なのかわからなかった。見つからなかったのだ。

 構想は随分と前から練っていたのに、書き出してみたら途中で完全に詰まってしまった。
 後半に進めず、そこで立ち往生していた。
 だから前半の稽古ばかりをしていた。
 自分自身でもかなり苛立った。
 稽古も遅れるし、皆に「こうなります」と説明できないもどかしさは大きなストレスだった。

 けれど、《何か》があるのだ。書きたかった《何か》が。
 早くそれを見つけ出さなければという焦りだけが募る。

 稽古で練り上げ、完璧にしておくべき前半すら、シーンを入れ替えたり、台詞を足したり削ったりを繰り返して……。

 もう、どんどん深みにはまっていく感じだった。

 台本が書けない時、「まだ降りてこないんですよね」とかいうヤツが私は大嫌いだ。それは色んな場所で言っていることだ。《とにかく考える》しか方法はないと思っているからだ。
 待ってるだけで勝手に降りてきてくれるなら、イタコになる修行でもすればいい。

 けれど……。

 私は書き出す時、ほぼノープランでスタートする。
 書いて行くうちにつながってくる。細かいフリの理由も分かってくる。
 そしてラストまで書くと全体が見えるのだ。

 前回のMONO公演『裸に勾玉』も、弥生時代の会話劇をつくろうということしか決まってなかった。
 今回よりは早く見つかったけれど、それでも途中では「え? これ、どうなるの」と自分でも困り果てた記憶がある。書き終わってみればそんな迷いはすっかり忘れてしまい、最初からああいう話を書きたかったんだという気持ちになる。

 一番ひどかったのは『約三十の嘘』という作品で、これは詐欺師たちが電車に乗っている話なのだが、「登場人物の中の誰かが裏切っていて《売上金》がなくなる」というのが話の軸になっている。
 けれど……あれを書いている時は困った。
 ラスト近くまで行っても裏切ったヤツ、つまり犯人がわからなかったのだ。ええ? 誰だよ? と、壁に向かって怒鳴ったりもしたけど、なかなか見つからなかった。
 けれど、あの時だってちゃんと犯人はいた。裏切り者は二人組だった。だからあの二人は前半から喧嘩していたんだし、それもバレない為の演技だったのだ、と、自分でも書き終わってから気づいた。

 それで思い出したが、先日、直木賞を受賞された恩田陸さんのエッセイに私のことが出てくる。

 まあ、これも驚いた。恩田さんのイギリス旅行にまつわるエッセイなのだが、私もロンドン留学から戻って間もない頃で、内容に惹かれて読んでいたら自分の名前が出てきてびっくりした。

 MONOの舞台が放送された時だと思う。
 私がインタビューに答えているのを恩田さんは見たらしい。
 
 本にはこう書かれていた。

 “土田英生曰く、脚本を書くのは土に埋まっているものを掘るのに似ている。そこに何かが埋まっていることは分かる。端っこは見えている。掘り出していくと、模様があったり、突起があったりする。しかし、最後まで掘り出してみないと、全体がどういうものなのかは分からない。とにかく何かが埋まってること、自分がそれを掘り出せることしかわからないのだ、と。”
 
 この後、恩田さんも同じタイプなんだという文章が続く。

 こんな格好いいことを言った記憶は全くないのだが、まあ、これは今も同じように思ってはいる。
 
 で、もう今回だけは何も埋まっていないのではないかと不安になっていたのだが……。
 やっと、それがあるとわかったのだ。

 さ、掘ってみよう。
 出てくるものが宝物であることを願って。
posted by 土田英生 at 02:06| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする