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MONO代表・土田英生のブログです

2020年07月16日

創作にLINEが使えない理由

 東京ではギリギリまで忙しかった。
 いろいろな仕事の合間に動画を撮っていてこれが結構キツかった。
 ある事業として3本作ることになっていて「ともだち」「受難カウンセラー」に続く三本目だ。
 まだ編集したりしないといけないんだけど時間がない。
 立川茜と高橋明日香が出ている。

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 京都に戻ってきてからも全くのんびりできないていない。
 台本を書いたり、たまっていた支払いを済ませたり、ジップロックにiPhoneを入れてお風呂でゲームしてたらマネージャーから電話がかかってきてそのまま「もしもし」と言ったけれど「聞こえないです」と言われて裸でリビングに飛び出したものの慌て過ぎてジップロックのツマミが取れてなかなか電話が取り出せなかったり、間違って着た加圧シャツの快感に目覚めて今日は積極的にそれを着たり、大事な電話中にトイレが我慢できなくなりかといって「トイレに」という隙間もなかったので便器の前にひざまずいてそっと用を足してみたり。

 今日は朝までに書き上げる台本が早く終わり、友達と電話してから、他の仕事をしていた。
 それにしても……人と連絡を取り合う時、使うのはほとんどLINEになってしまった。電話もLINE通話が主だしね。

 創作をする場合、このLINEというツールがとても厄介なのだ。

 私は現代劇を書くことが多いし、設定も現代ということにしている。
 MONOの舞台などを見てくださっている方は気づいているかも知れないけど、私は「固有名詞」をなるべく避けて台本や脚本を書いている。出てくるのはせいぜい「東京」「名古屋」などの地名であったり、「織田信長」など歴史上の人物の名前などだ。
「ローソン」も「iPhone」もも出て来ない。ついでに言えば流行り言葉も出て来ない。そうしたものを使わず、現代を表現しようともがいている。
 
 別に好き嫌いの問題だけではなく、どうもフィクションにおさめられない気がしているのだ。これは創作においてLINEが厄介だということと密接に関係してくる。
 
 まず、舞台上で展開されている世界は「嘘」だ。どれだけ巧妙に台詞を書き、リアルな舞台セットを立てたところであくまで虚構だ。私が仮に「土田」という役を書き自分で演じたとしても、それは今これを書いている土田ではない。あくまでもフィクションの私でしかない。

 そして……この「嘘」「虚構」「フィクション」を「本当のこと」として観客に信じてもらえなければ、ドラマは成立しない。嘘でありながら、実際のこととして見てもらわなければいけないのだ。

 そうした時に難しいのが固有名詞の扱いだ。

 例えば過去に舞台設定をした場合は割合楽だったりする。『1989年の東京』を舞台にした場合、当時流行っていたテレビ番組の名前やできたばかりの観光名所などを台詞に出しても気にならない。あくまでそれはフィクションとしての1989年の東京で起こったことであり、今、劇場の外にはその世界は存在しないので成立すると思う。

 難しいのは「現代」だ。
 劇場の外には……本当の、いわばリアルな現代が広がっている。
 そもそもお客さんたちは現代の人であり、現代の空気をまとったまま劇場のイスに座る。
 けれど開演して暗転し、明かりがついてからは座席ではなく舞台上で行われていることを“リアルな現代”として感じてもらわないといけない。

 現代を舞台にしているのだから、現代実際にあるものの名前は出してもいいのかというと、そうはならないのだ。
 「そこのローソンでさ」という台詞を役者が発した瞬間に、劇場にくるまでに通り過ぎたローソンが頭に浮かび、「私のiPhoneが」と聞こえた途端にカバンの中にしまってある自分のiPhoneのことがよぎる。問題はさっき見かけたローソンやカバンの中のiPhoneの方が、舞台上で出てくるものよりリアルなのだ。あくまで舞台上の世界にあるローソンやiPhoneにするのはとても難しい。

 つまり「今現在も存在し、少なくともすでに世界にとって当たり前になっていて、今後もきっと存在し続けるであろう」ものしかフィクションにしづらいのだ。だから「東京」という地名はなんとかおさめられる。少なくとも随分前からあるし、そしてこれからもあるだろうし。実際にはわからないけど、大事なことはそのようなものとして観客の多くが認識しているということだ。

 だから「先週、いきなり電話で振られてさ」これは問題ない。電話は随分と前からあるしね。電話という言葉を聞いてもピクリとはならないし。フィクションの中での電話としておさまる。
 「昨日、メールで言われちゃって」これも大丈夫になった。けれど「LINEまだ来ないの?」……これは今のところNGだ。

 私の感覚だと、その言葉や事象が出てきて30年くらいは経たないと、どうもおさまりが悪い気がする。
 なにより電話、メールはツール自体の呼び名だが、LINEは一企業の名前だしね。
 
 で、ここで問題が起きる。
 私だって普段は連絡のほとんどはLINEだ。
 だから現代を舞台にする以上、LINEを避けると不自然になってしまう。

 だから今は「連絡あった?」「(手にした画面を見て)ないねえ」などという感じで逃げている。
 
 ……ん?

 なんで突然、自分の創作のこだわりとか書き出したんだろう?

 あ、そっか。
 そうだった。
 今、困っているのだ。コロナに。

 現在も世界中で起きていて、ワクチンや特効薬が開発されるまではこの状態は続くという。
 皆がマスクをしているのは当然の景色だ。

 今、現代を舞台に作品を書く時、どうしたらいいんだろう?
 登場人物たちがマスクをしてコロナ前提の日常を描くと、フィクションにはならず時事的なものとして捉えられてしまう。
 かといって、コロナ抜きの現代に果たしてフィクションとしてリアリティを持てるのか。
 
 どうも現実が掴めないままで困っている。

 そんな中、17日から「それぞれ、たまゆら」が京都の出町座で公開されます。
 マスクをして静かに見ていただければ。
 舞台挨拶に私も劇場に行きますが、マスクをして静かに頭をさげたいと思います。お待ちしています。→サイト
 そして19日からはTBS系で「半沢直樹」がスタートします!

 前の「半沢直樹」の時、私は同じクールで「斉藤さん2」というドラマを書いていた。

 勝村政信さんに出てもらおうことになり、口説く為に「流行る台詞を用意しよう」とプロデューサーと話した。
 事なかれ主義な警察官の役にして、「異常なーし」という台詞をやたら言ってもらうことにした。

「流行り言葉にしますから言われて受けましたけど、周りは倍返ししか言ってません」と、勝村さんが打ち上げで挨拶していたのを思い出した。

 ……もう朝だね。
posted by 土田英生 at 05:30| 京都 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする