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MONO代表・土田英生のブログです

2016年05月19日

自分のことは棚に上げて書く

 自分のことを棚に上げて書く。 

 今日はKAKUTAを観て来た。あ、その感想を書こうというのではない。なんだか「そうだそうだ」と勝手に感じたことがあったので、それを書くきっかけとして使わせてもらっている。きちんとショーアップされた演劇作品だったけど、名目はリーディング公演で、しかも今日の話は寓話だったので、普段の作品とは趣が違った。

 私がいいなあと思ったのは、誤摩化さずに稽古されていることが伝わったからだ。
 ここでこんなことしといたらいいや、というような演出はどこにも見当たらず、桑原さんが一つ一つ判断した痕跡が見て取れる。そのことにとても安心を覚えた。
 真摯に創っているんだなあと嬉しくなったのだ。
 エンターテイメントを創るのはこうでなくちゃね。

 演劇のお客さんが少ないと嘆く声を耳にする。
 けれど、敢えて言わせてもらえば、やっぱり面白くないものが多すぎるんだよね。もっと言えば、いい加減に創られているものが多いような気がする。
 
 心配になってきたので、この辺りでもう一度、挟んでおこう。
 自分のことを棚に上げて書いている。 

 台本を書くのだって、演出をするのだって技術は必要だ。
 それにはやっぱり真っ当に物事を判断するだけの知識を持っていなければいけない。

 例えば、普通にコメディを創ろうと思ったとする。
 設定を作り、そこにズレを生み出す。
 けれど、これがズレとしてしっかり機能する為には、ベースの設定に説得力がないと駄目なのだ。
 そしてベースに説得力を持たそうと思えば、知識に裏打ちされた常識がないとどうにもならない。さらには知識があっても、それをリアリティある形にするのに技術が必要なのだ。

 それができないと、荒唐無稽なものになってしまう。
 分かっている人が“敢えて”荒唐無稽なことをやるのは大丈夫だが、技術やセンスの不足で不条理になってしまうものは面白くない。「ここでこんなことしたら面白い気がする」という曖昧な判断では駄目なのだ。もちろん言葉で全て理解して創るということではない。けれど、コレでいいか悪いか、きちんと自分に問えば、自ずと分かってくるはずなのだ。

 私も作品を創っていて、違和感のある場所を、どうすればいいか分からずに終わることは多々ある。
 けれど、それでは駄目だということを自覚しておかないと、創るものがどんどん緩くなってしまう。

 いや、これは自分を棚に上げて書いているので、まあいい。
 私ももっともっともっと勉強が必要だし、技術も身につけなければいけない。
 それは肝に銘じておこう。
 
 普通に面白く見られるもの。
 それを創るには力が必要だ。
 頑張ろう、一つ一つ。

 明日、戯曲の講評を3本もするので、ずっとその作品を読んでいる。
 それでこんなことを書きたくなった。

 最後にもう一度書いておく。
 自分のことを棚に上げて書いた。
posted by 土田英生 at 01:32| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月14日

自分を転がす

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 トークイベントが終了した。
 なんだかんだ2時間ほど喋らせてもらった。
 参加してくれた皆さんがとても優しい雰囲気だったので、ついつい赤裸々になってしまった。

 そもそも、私は喋ってはいけないことと、いいことの区別が少しだけ曖昧だ。
 時々、後で「なんであんなこと言ったの?」と、人から言われることもあるし、口での失敗はこれまで枚挙に暇がない。

 ただ、今年は反動が少なかった。

 喋ることが大好きな癖に、喋るとその分のツケが後でやってくるというシステムになっている。普通に呑んだりしても、喋り過ぎた次の日確実に落ち込む。
 去年はトークイベントが終わって4日間くらい闇の中をさまよった。
 もう二度とやるもんかと誓った。
 だから今年も怖かった。

 そんなこともトークで喋ったせいか、終わってから参加してくれた皆から、やたら「大丈夫ですよ」とか、「落ち込まないで下さいね」などという声をかけてもらった。

 自分の喋りを「同情トーク」と名付けてもいいとすら思った。

 次の日、目が覚めてすぐに私は自分の気分を確認した。
 そんなに暗くなかった。
 これは驚きだ。
 もっとも、起きて仕事をしていたら、段々、喋った内容を思い出して来て、それに伴って下降しては行ったが、それでもマシだった気がする。
 
 トークでは皆に自分の多動症的行動についても話したのだが、話したことで自分でもとても自覚的になった。
 なにかしていても、自分の行動に一貫性がないことに気づく。

 まさに今日はそうだった。
 起きてすぐ、洗濯をしようと思い、服を洗濯機に入れた。
 洗剤を出そうとしたとき、シンクの中に洗っていないカップがあるのが目に入った。
 なので洗濯機はそのままで、カップを洗った。
 見ると……洗ったのにコーヒーのシミが付着しているのが気になった。
 漂白剤を取り出し、カップをつけた。
 ついでに布巾もつけた。
 しばらく待たなければいけない。
 その間にコーヒーを淹れておこうと思った。
 そうすればキレイになったカップでコーヒーが飲める。
 コーヒーメーカーのスイッチを入れた時、そもそもは洗濯をしようとしていたことを思い出した。
 そこで考えた。
 どうせ洗濯をするなら、今、着ているものも洗いたい。
 考えもなしに服を脱いで全裸になった。
 ……ここで再び考えた。
 洗濯機はベランダにある。
 全裸では出られない。
 実はこれまで何度か同じようなことがあり、全裸のままカーテンに包まって無理矢理ベランダにでようとして失敗したりもしている。
 前の道を歩くおばあちゃんが私を見上げていたこともある。
 だからそれは駄目だ。
 そうか! 
 どうせならこのままシャワーを浴びればいいのだ。
 ついでに洗面所のタオルも取り替えないと。

 この辺りで、トークで喋っていた内容を思い出した。
 こういうことだよな、と思った。ホント、行動に一貫性がない。
 トークの時はレザークラフトのこととか、絵を描いたりすることも喋ったっけ?
 と……。
 最近、描いていた、描きかけの絵のことを思い出してしまったのだ。
 さすがに自分でも分かっていた。
 洗濯をしようとしていて、カップの漂白に目移りし、コーヒーを淹れていて、全裸になり、シャワーを浴びようとしている最中だ。とても忙しい身の上なのだ。
 だからさすがに駄目だ。
 絵の方に興味が向くのだけは禁止だ。
 ……。
 ガマンができない。
 描きかけの絵をチラッと見てみようと思った。見るだけならいいだろう。
 そしてスケッチブックを開いた。

 見たら駄目だった。
 そのまま鉛筆を取り出し、机に座った。
 寒い。全裸なのだ。
 だったら服を着ればいいものを、脱いだスエットだけを肩にかけた。
 そしてそのまま絵の続きを描いた。
 肩にかけたスエットが邪魔で、結局、全裸で描いた。
 1時間くらい描いていた。
 絵は完成してしまった。

 さすがにそれからシャワーを浴び、カップも洗い、洗濯も済ませてから、コーヒーを飲んだ。
 全部終わったのだから結果オーライだ。

 もう一つ、気分がすぐれないなあと思い、外に出ようと思った。
 気分転換に渋谷に出て東急ハンズにでも行こう。
 着替えていると仕事のことが気になった。
 気になり出すと、不安な気持ちがどんどん押し寄せてきた。
 ホント、書かないと。
 結局、出かける格好のままパソコンを起ち上げ、机に座ってみた。
 そしたら……四時間も仕事ができた。

 切れないハサミも使い方で切れたりする。
 とにかく、こうして自分をうまく転がして行くしかないんだよね。
 ああ、それにしても厄介だ。
posted by 土田英生 at 05:04| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月04日

現実感がない!

 最近、カレンダーの感覚が全くない。いや、時間の感覚がない。
 気がつけば夜中だったり、昼間だったりする。日付を見て驚く。知らない間に変わっているのだ。

 4月30日は忙しかった記憶がある。
 朝も用事があったし、そのまま昼から打合せ、そして夜はリーディングを観に行った。
 そしてそれ以降、この3日間は全く外に出ていない。
 基本的には事務所にこもってずっと書き物をしている。
 やたらコーヒー豆がなくなる。コーヒーばかり飲んでいるんだと思う。

 書いていると現実がよく分からなくなるね。

 稽古があれば、外にも出るし、人とも会うのでバランスが取れるけれど、今は本当に書いているだけなのだ。しかも書いているのは戯曲ではない。
 戯曲だと役者の顔を思い浮かべたりするせいか、まだ現実との回路がある気がするけど、完全に物語だけ書いていると文字の中に埋没してしまう。
 だから、シャワーを浴びる時や、買物で外に出た時に違和感を抱く。
 普通のことが難しいのだ。
 ボディソープで髪を洗ったり、歯ブラシを持って考え込んだりする。
 コーヒーに入れる為の牛乳を買いに出て、水を買って帰ってきたりする。
 
 で、戻って来て書き始めるとほっとする。
 おお、ここだ、という気になる。
 書いている世界に安心や懐かしさを感じる。

 今は心の浮き沈みだけが私の全てだ。
 これまでの価値観が崩壊する。
 好きだった事や人への考え方が変化したり……まあ、その分、新しい発見もあるんだけど。
 
 こうやって人は引きこもりになっていったりするのだろうか?

 私はお喋りなので、まあ、その心配はないと思うけど。
 そろそろ誰かと会わないとヤバいね。

 ま、だけどトークもするし。
 こういうこともしないと、本当に混乱してしまうしね。
 楽しく喋ろう。
 そして皆と交流しよう。
 
 11日[水]19時からです。詳しいことはここに書きました→

 当日来ていただいても大丈夫ですが、小さな店なので万が一の時は予約優先になります。
 予約フォームも作ってもらいましたので、簡単に予約できます。
 こちらから予約してください。→予約フォーム
 
 個人的なことから演劇のこと、仕事のことから社会のことまで、ランダムに喋るつもりです!
 私の幼い頃のライバルだったゴロの話もします。
 いや、しないかも知れません。
 ゴロのことを書いていたから、そんな気になったのだと思う。

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 早く書き終えて、現実に焦点を合わせておかなければ。

 とにかく皆さんのおこしをお待ちしております!
 
posted by 土田英生 at 04:24| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

自分のことだけが分からない

 私は高校生の頃から心理学に興味を持ち始めた。
 楽しくも、それなりに悶々とした10代だったので、興味というか必要だったんだと思う。
 なぜこんなに苦しいのか、その理由が知りたかった。
 で、全く専門的ではなく、それなりに本を読んだりして来たわけだけど、とにかく確実に得たことは一つだ。

「自分のことは分からない」

 このことを知っただけで、私は随分と助かってきた。
 
 フロイトという人は随分と批判もされてきたけど、無意識という概念を作ったことはとても大きい。
 この概念のおかげでかなり色んなことが説明できるようになったんだと思う。
 
 簡単に言えば「意識できないこと=つまり自分では分からないこと」が自分の心の中にはどんと居座っていて、それが様々な形で自分の意識や身体に影響を与えているということだ。

 小さい時などにあったイヤな出来事、これを頭は必死で忘れようとする。
 覚えていたら、いつまで経ってもイヤな気持ちになるからだ。
 例えば、小さい時に親にひどく傷つくことを言われたとする。
 これをいつまでも覚えていたのでは、親を好きになれないし、だから子供はなかったことにする。
 
 けれど、忘れたことは実際には消えていない。
 いつまでも心の奥底に、つまり無意識の中には生々しく残っている。
 今の例でいえば、親から言われた言葉や、その発言をしたときの親の顔などは、「もしかしたら愛されていないではないか」という不安と共にいつまでも無意識に残っているのだ。

 無意識に残っているとどうなるか。
 イヤな出来事は必死で表に出て来ようとする。
 これが厄介なのだ。
 
 出て来てしまうと人はイヤなことを思い出してしまうので、必死でフタをして自分で気づかないようにする。
 この、必死でフタをしているのが「自我」と呼ばれるものだ。
 
 必死でフタをしているので、普段の行動にも影響は出る。
 大体、このフタをしている状態が心にとったら苦しいことなのだ。
 無意識はそれらを表に、意識に出そうとする。
 
 だからフタが緩むとそれがちょっと顔を出したりする。
 眠っている時に夢に出て来たりするのだ。

 ちなみに、自我は眠っているときも必死で働いていて、生々しいイヤな出来事をそのまま夢に出させないように頑張る。夢の検閲と呼ばれたりしている作業だ。だから夢は歪曲されて、おかしな不条理なものになったりする。
 
 夢の話はおいといて、つまり、自分にとって、本当にイヤなことなどは無意識に追いやってフタをしているので、どうやっても自分では意識ができないということだ。
 正直に話せ、などと言うけれど、そんなことは所詮無理なのだ。
 だから、他人の方が私の本質を見抜いていたりする。
 人にとても的外れなことを言われて、腹が立つことがある。
 ……そういう時、多分、無意識の何かにヒットしているのだ。
 つまり当たっているんだと思う。
 しかし、ヒットしたことを私の心は認めない。認めてしまうと自分が危うくなるからだ。
 
 くだらない例になるけど、小学生の時、大好きだった女の子がいた。
 しかし、実際は自分がその子のことを好きだとは思っていなかった。
 仲はよかったけど、その子を好きだという事実はとても恥ずかしいこと考えていたんだと思う。
 小学生だし。
 一番、恥ずかしい頃だし。
 もちろん、その時は別にその子のことは好きではないとしか考えていなかった。

 ある時、友達に言われた。「お前、◯◯が好きなんだろ?」
 私は驚いた。
 そして否定した。あるわけないだろ、と反論した。
 「正直に言えよ」と、そいつは言った。
 私は正直に言っているつもりだった。そして、その友達にとても腹が立った。
 
 ……振り返って考えてみると、私はやっぱりその女の子のことが好きだったんだと思う。
 
 自分が本当に望むことは、なかなか自分自身では見つけられない。
 自分のことだけは分からないのだ。

 で、的はずれなことを言われた時、それをゆっくり考えてみるようにしている。 
 本当はこのことを書こうと思っただけなのに、長くなってしまった。
 
 最近、ある人から言われた何気ない言葉がいつまでも残っている。
 それは、なんでもない言葉だった。
 深刻な会話をしていたわけでもない。
 むしろ、冗談のようなやり取りの中で発せられた言葉だ。
 私が傷つく必要もないはずのものだ。

 なのに、その言葉がヤケに気にかかっている。
 私の無意識にある何かに当たっている証左だ。

 ……なんだろう?

 演劇をすると、台本を書くと分かったりすることもあるんだけどね。

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 好きな女子に気づけなかった頃の学芸会。
 「山猫5」という役を演じるだけでは、なにも分からなかったね。

 5月11日にトークをします。→コチラ
posted by 土田英生 at 01:38| 東京 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月23日

どうでもいいことを書く

 今日はどうでもいいことを書こう。

 別に私は普通なのだが、どうも最近、ここやTwitterで書いていることが暗いらしく、メールなどでやり取りする人たちから「大丈夫ですか」といきなり聞かれたりする。
 確かに「気分が落ちる」とか、そんなことを書いているので仕方ないんだけどね。
 というか、やっぱりアピールしてるんだろうね。
 誰にだよ、と思う。

 大変な問題を抱えている人たちは山のようにいるだろうし、比べることではないけれど、今、被災している人たちから見れば、私が個人的に悩んでいることなど屁でもない。
 部屋の中にいて、こうしてパソコンに向かえているんだしね。
 さっきはあんトーストも食べた。
 こんな幸せなことはない。
 
 とにかくなんとか今月中に書き上げようと思って取り組んでいるものがあるのだが、これがなかなか進まない。いや、絶対に終えるつもりではいるのだが、今月も残り少なくなってしまった。
 そして、私は書けないとすぐになにかを作り出したり、部屋をいじり出したりする傾向がある。
 試験勉強中に部屋を片付け出すという経験は誰しも持っていると思うが、まあ、とてもそれに近い。

 私は最近は基本的に東京にいる。
 京都には帰らず、下北沢にいる。
 ただ、問題はここが完全に私の部屋ではないことだ。
 ここは……MONOというか、MONOの制作を請け負っている有限会社キューカンバーの事務所だ。
 私は一応、キューカンバーの代表取締役でもあるので、別にここにいるのは構わないが、問題の根本は“私だけの空間”ではないということだ。

 けれど、私は……周りの景色が、つまりインテリアがあまりに自分に合ってないと気分が悪くなる。
 自我というか、自分の意識が部屋全体に及んでいる感じで、例えば部屋が散らかっていると仕事は全くできない。だから書く前には掃除をする。
 マンスリーマンションに滞在したり、いや、ホテルでも数日間同じ部屋にいると、勝手にカスタマイズしてしまう。しかも基本的にアンティーク家具が好きだったり、DIYが好きなので、無駄に工夫をしてしまうのだ。

 歴代の部屋たちもおかしなことになっていた。

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 ……これは随分と昔だ。
 やっと演劇で生活ができるようになり、2部屋あるマンションに引越した時だ。
 京都の壬生というところだった。
 一人暮らしなのにイスは6脚あった。皆からは家具屋さんと呼ばれていた。

     * * * *

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 写真が汚いが、ここは次に引越したマンションの仕事部屋。
 分譲マンションだったので部屋数も多く、内装もいじり放題だった。
 壁も全部自分で塗った。このマンションの時は玄関から入った廊下もサーモンピンクにしていたので、時々、宅配便の人がドアを開けて「うお」っと小声を上げたりしていた。
 
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 これだ。
 壁をぶち抜いてステンドグラスを入れたりしたし、ドアの周りや天井と壁の継ぎ目には全てモールディング材をつけたり、とにかく自分でやるのは大変だった。材木が100本以上家に届いて困った覚えがある。まあ、自分で注文したんだけど。

     * * * *

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 これは現在の京都の自宅の仕事部屋。
 これはさすがにプロにやってもらった。
 イギリスっぽいのだが、ここに座って仕事をしているのは私なのだ。基本的にあぐらが好きなので、イスの上であぐらをかいたりしてる。だったら和室にすればいいのに。
 そういえば、ロンドンに留学している時、日本が大好きなイギリス人がいて、家に畳を敷いていた。少しだけ不似合いで面白かった。まあ、それと同じだし、ボジョレーヌーボーの解禁を祝っている日本人を見て、私は笑ったりしているが、やっていることは同じだね。

     * * * *
 
 とにかく私は自分の周りをいじるのが好きだ。
 そうでないと仕事ができないという厄介な特性を持っている。
 
 でも、ここは……さっきも書いた通りMONOの事務所だ。
 必要最低限のものしか置かないように気をつけているし、アンティーク趣味も封印し、さらにはイギリスっぽさも全くない。
 だけどいじりたい。
 だから行くのは百均か東急ハンズ。
 で、ちょっとだけ作ったりしている。
 
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 今の事務所の机周りはこんな感じだ。
 気をつけていたはずだが、結構、物が増えている。しかも自作のレザークラフトであふれてもいる。
 これは……次に誰かがここに来た時に怒られるのではないか。
 まずい。
 あくまでMONOの為に事務所をいじっていると主張しなければ。

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 玄関の靴箱の上をこんな風にしておいた。
 これで、これで私の主張は受け入れられるだろう。

 
posted by 土田英生 at 06:29| 東京 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月19日

いやな春だけど。

 全然、更新してないね。
 毎年のことだが、公演が終わるとどうも気分が落ちてしまう。
 昨年もそうだった。今年も終わった途端にどうもバランスがおかしくなった。

 何人もの友達が下北沢まで遊びに来てくれた。
 くだらない話をして少し楽になった。
 去年やったユニット、歪[いびつ]の三人が花見を企画して誘ってくれた。
 とても寒かったが、また少しだけ回復した。
 
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 その後も劇作家協会の花見に顔を出したり、仕事で宮崎に行ったりして段々と社会復帰していった。

 宮崎は取材だったのだが、とても楽しかった。
 新しいことを知り、色んなことを考えた。
 宮崎についてはまた書きたい。

 とにかく海がよかったねえ。
 サーフィンのメッカになっているだけあって、波がすごかった。
 久しぶりに海を見て、とても癒された。

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 そんなこんなで、やっと少し浮上した。

 だから、更新しようと思った。
 楽しいことを書こう。

 そんな時……熊本の地震があって……またしても書く気を失った。
 地震の被害を目の当たりにしてショックを受けたこともあるけど、それに対する社会のリアクションが私をさらに凹ませた。

 ホント、殺伐とした世の中になった。
 人の余裕のなさが気にかかる。
 柔軟性がないというか、皆が自分の立場を決め込んで、その場所に固執する。
 リアルな会話のやり取りがない。

 例えば、川内原発についてもそうだ。

 熊本、そして大分でも地震が起きた。
 活断層に沿って地震が連鎖しているらしい。そして、まだ続いている。
 今後の地震活動がどんな風になって行くのか、分からないと専門家も言う。
 そんな中、川内原発を止めて欲しいという声が出る。当然のことだと思う。

 けれど、そのことに対しても実際にどうした方がいいかという話にはならない。
 原発推進の立場にいる人たちからは一斉に攻撃をされる。反原発の人たちがなんか言ってるよ、、◯◯ガル以下だからどう、素人がつべこべ言うな、規制委員会が判断するからいい、などなど……。
 すでにそこに議論の余地すらない。あるのは対立だけだ。

 立場を越えて他人を想像してみるということがない。

 生活レベルで考えたら分かることなんじゃないかと思う。
 福島第一原発での事故があり、それすら収束していない事実を私たちは見ている。その上で……。
 気象庁も今回のような地震は希有だという。分からないという。だったら、南西で大きな地震が起きるかも知れない。近くには唯一稼働している川内原発がある。

 ……心配するのはとても自然な感情だ。

 なのに、大丈夫だというニュースが僅かに流れるだけで、テレビなどでも、どうすればいいのか議論しているところすら見ない。触れることすらタブーになってるとしたら……もうダメだよね。大丈夫なんだとしたら、きちんとそのことに触れて解説すればいい。
 
 とにかく、皆が立場でだけ物を言う。違う立場の意見はすべてを攻撃だと受け止め、それぞれが都合のいい知識を振り回して、相手を倒そうとする。
 そこに本当の理性的な会話はなく、感情的なやり取りがあるだけだ。喧嘩だ。

 議論と喧嘩は違う。

 知らないことがあれば、そうなのかと自分の考えを刷新し、そしてまた新しい意見を出す。
 それをすり合わせて、新しい結論を生み出して行く。
 一緒に何かを生み出そうという意思を持ち合うこと、それを絆と呼ぶんだと思う。
 絆とは「同じ日本人だから」とか、そういうことではないのだ。意思疎通があって、関係が生まれるからこそ、絆になるのだ。

 ああ、なんか、イヤな春だ。

 閉じてニヒリズムに陥ってしまったのではダメなんだと分かってる。
 だから私は親しい人の顔を必死で思い浮かべる。
 あの人たちが生きている、そう思うことで社会に好意を持とうとする。
 
 復活しないと。
 素敵な人たちもたくさんいるしね。
posted by 土田英生 at 08:07| 東京 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月04日

なんとかなるね。

 なんだか久しぶりだ。
 やっとここを更新できるくらいに回復して来た。
 ……私はとても疲れていたらしい。
 ま、今も色々とあるけれど、少しはましになった。
 
 おかげさまで「裸に勾玉」の公演は無事に終了した。
 弥生時代のセットともさようならだ。

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 ……よく見たら高床式倉庫の上に脚立がのってるな。
 私が撮ったのでこんなことになった。

 とにかく弥生時代を舞台にした芝居は終わった。
 何度も書いたことだが、今回は本当に不安だった。
 上代語をベースに、嘘弥生語で台詞を書き、現代の人と交錯させる。
 そこにリアリティーは生まれるのか、全く自信がなかった。
 もちろん賛否はあると思うが、概ね、想像したように観客は受け取ってくれたように思う。

 タイムスリップ的な設定に迷いもあった。
 これはとても難しい。下手すると完全に“ベタ”なものになってしまう。
 私が狙いとして考えていたのは、その理由などを全てすっ飛ばそうということだった。
 
 私たちは目の前に広がる世界を現実だと認識している。
 けれど、そう思っているこの場所だっておかしい。
 冷静に考えると、不思議で仕方ない。生まれて育つ過程で、目の前に広がる世界を“現実”だと信じているに過ぎない。

 中学校の時、FAXの仕組みが分からずに混乱した。
 絵を電気信号に変換してそれを送り、向こうでもう一度絵にするのだという説明は理解できた。
 しかし、感覚的に分からなかったのだ。
 だって、絵がそのまま送れるなんてあり得ない。
 それがパソコンが発達し、今や、なんでも送れてしまう。
 この環境で育てば、それが現実世界だ。

 だから、いきなり目の前が弥生時代になってもいいと思った。
 描きたかったのは「どうしてその時代に行ったか」ではなく、「その時代にいたとしたらどうなるか」なのだ。
 
 東京公演を観た小林賢太郎君が「発明だよね。全く説明しないって」と言っていた。
 少しだけ安堵した。
 大体、弥生時代を使って、結局書いているのは今の人間のことだったりするしね。
 ストーリーをみせたいんじゃなくて、そこにる人の有様を描きたいんだし。
 
 とにかく公演は無事に終わった。
 全員は写ってないけど、東京のゲネプロ終りに撮った写真。

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 谷古宇さん撮影だ。
 だからなのか、脚立ものってない。

 大阪公演が終った途端、私はいきなり現実に戻った。
 無理をしていたせいか、身体も心もダウンした。
 次の日は久しぶりにMONOの事務所で荷下ろしやり、京都の運転免許試験場で免許証の更新をし、東京に移動した。
 下北沢に着くと……もう完全に落ちていた。
 
 2日間、いや、3日間……よく分からないが、とにかくじっとしていた。
 4月中旬を目指して書いているものがあるので、それを時々はやっていたし、一度だけ友達と会ったりしたが、基本的にぐてーっと横になっていた。
 動き出さなければと思うのだが、身体も心もいうことをきいてくれない。
 現実にある片付けなければいけない問題ばかりが、頭の中をグルグル回っていた。
 このまま溶けていってしまうのではないかというくらいダラダラした。

 何もする気がおきない。
 お芝居などをやっている人には経験があると思うが、公演の翌日は差し入れでもらった食べ物で済ましてしまうことがある。
 アーモンドやドライフルーツもたくさんもらった。
 お腹が空くとそれらを食べてしまう。
 ちゃんと食事をしないと。
 そう思うのに、出かける気にもならないのだ。
 
 このままではいけない。
 とにかく外に出なければ。そしてきちんとしたものを食べなければ。
 そう思って、ある友達をご飯に誘ってみた。
 覇気がないままでも会える間柄だ。
 お肉でも食べよう。
 そして、これをきっかけに浮上しよう。
 張り切ったのもつかの間だった。
 ……都合が悪いという返信だった。
 また、フニャフニャになった。
 やっぱり溶けよう。アーモンドで過ごそう。
 木の実で過ごすなんて……まるで縄文時代だ。
 ああ、芝居の設定よりも、時代が戻ってしまっている。

 ダメだ。
 これではダメだ。
 重い身体を無理矢理起こして、外に出た。
 なぜか春が来ている。
 店に入って日替り定食を注文した。

 と、別の友達から連絡が来た。
 「ご飯食べましょう」という誘いだった。
 タイミングいいのか、悪いのか。
 結局、夕方会うことにした。
 そして会ったら……朝まで喋ってしまった。
 気がつけば10時間経っている。
 私は人と会うと、自然と張り切ってしまうのだ。

 しかし、その勢いを使って、ずっとご無沙汰だった病院にも行った。
 そうなのだ。
 ある薬が切れていたのだ。
 これも気分がすぐれない原因だったのだと思う。
 
 段々と動き出した。

 と……やたら色々な人からLINEが来る。
 本当に次々と来る。
 全員が会おうというお誘いだ。
 どうしたんだろう?
 皆で相談でもしているんじゃないかと勘ぐりたくなるくらい、連絡は続く。
 しかもだ。「この日はどうですか」という提案は誰もかぶっていない。
 上手い具合にずれているのだ。
 で……予定が一気に埋ってしまった。

 人は因果律で物事を考えたりする。
 悪いことが起きると、この前、あんなことをしたからじゃないのかと思ったり。
 関係のないことを結びつけてしまったりする。

 どうして急に、次々、友達が会いたいといってくるのか?
 それもうまい感じで、ローテーションを組んで。

 もしかしたら、私の身になにか起こるんじゃないか。
 私は終わってしまうのではないか?
 そのことを皆は知っていて、連絡をくれているのかも知れない。
 そういえば、最近、悟りを開いたかのような考え方をしている。
 「人間だもの。みつを」という感じなのだ。
 これはいけない。

 今日は十年来の友人の結婚パーティー。
 ロンドンで出会って以来、ずっと仲良くしてもらっている大事な友達だ。

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 彼女はとてもキレイだった。
 私も幸せな気持ちになった。
 新婦の友人代表で祝辞も述べさせてもらった。
 色んな想い出や会話が走馬灯のようによぎって行く。

 しかも、久しぶりに宮本亜門さんと会った。
 嬉しかった。
 昔、「BOYS TIME」という舞台を一緒にやったのだ。
 あの時の記者会見は緊張したなあ……取材に来ている芸能レポーターをみて興奮し、サインをもらおうとして「脚本家なんだからやめた方がいい」とアドバイスされたなあ……あああ……懐かしい……。

 「いい人生だったもの。ひでを」

 ……まずい。
 やっぱり悟っている。
 終わってしまう、終わってしまう!
 
 いや、大丈夫だ。
 大丈夫なことは自分が一番よく分かっている。
 今日もパーティーの後半にあったダンスタイムで、私は率先して踊っていた。
 しかも「エヴリバディ、カモン!」と叫んだりした。
 悟り切った人間は「カモン」とは言わないはずだ。

 それに大体、最初、勘違いして別の会場に行ったのだ。
 そこで「受付はまだですか?」と聞いたら「なんのでしょうか?」と言われたりした。
 私がいたのは恵比寿。会場は飯田橋。
 タクシーに飛び乗り、「後、何分で着きますか?」と5回も運転手さんに尋ねたし。
 まだまだ生々しいね。
 悟りとはほど遠い。

 目の前には色々と片付けなければいけない事柄があるけれど、なんとかなるね。
posted by 土田英生 at 07:12| 東京 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月27日

最後の1回

 演劇をやっていて最も寂しいのはやはり終わってしまうときだ。
 構想を立てて台本を書き、稽古をして形を作り上げる。
 間の一つに悩み、台詞のつながりに苦労し、皆の知恵や労力をつかって創ったのにそれは消える。
 台本は文字として、そして公演もDVDなどで残るものの、劇場で感じられるあの時間はもう戻らない。
 再演しても役者は変われば別の作品になるし、全く同じメンバーでやったとしても同じものにはならないのだ。
 
 MONO「裸に勾玉」も最後の1回になった。
 
 すでに今日、打上げも終わった。
 稽古から本番にかけて、キャストやスタッフ、彼らがいることが当たり前だったのに、明日を境にその世界とはさようならだ。明日、本番を終えたらそのまま片付けをし、集まって挨拶をすることもなく三々五々別の日常へと戻って行くはずだ。

 MONOは公演がない時、メンバーで集まったりしない。
 きっと全員が揃うのは次回の稽古始めなんだと思う。
 ましてや今回のキャスト、つまり4人の女優さんを含めて全員が揃う機会など全くない。

 いい舞台にしないとね。
 最後だと力んでも、それで結果が出るわけでもないのが難しいところだけど。
 いつものようにやるだけだ。
 
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 お客さんに座ってもらい本番をやる。
 それだけだ。
 当日券もありますので、皆さん、お待ちしています!
 →特設サイト

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 役者がアップしたりするのによく使っているロビーの階段を上がった場所。
 そこから入口を見下ろす。
 ABCホールで好きな景色だ。

 少し眠ろっと。
posted by 土田英生 at 05:04| 大阪 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

残りは3日間、4ステージ! 終わったらと思うと……。

 大阪公演は一週間く、全部で6ステージしかないのだ。
 そしてそのうちの2ステージは終わった。

 細かいトラブルはある。疲れのせいか、何人かの役者さんが体調を崩したりしている。もちろん舞台上ではそんな素振りは見せていないけれど。
 色々とハラハラすることが多い。
 けれど……それも含めて面白いなあと思うんだよね。
 説明するのは難しいけれど、演劇の魅力はそういう所にもある気がする。

 MONOの作品はジャンル分けすればドラマだ。物語をダイアログによって見せて行く。
 役者は、役を演じ、その舞台上の虚構世界を現実のように見せる。
 そして、アドリブも一切ない。
 台本を読んでもらえたら分かると思うが、一語一句、正確だ。
 もちろん、稽古では役者側からの声も反映して、どんどん変えて行くけれど、本番になったらそれを固める。観客の皆が笑ってくれたりする部分も、間やトーンに至るまで、“一応”は計算して作られている。

 そう考えると毎日同じことをやるのがいいはずだ。
 で、それを基準に考えれば、とても危ういことをしている。役者の体調だってそうだし、誰かがミスすることもあるば、機材などのトラブルもあったりする。計算した大事な「間」で、観客の一人がくしゃみでもすれば、それだけで反応はなくなってしまうし。
 OKカットを求めてテイクを繰り返す映像とは違い、舞台は常に一か八かだ。
 
 しかし、このことが舞台ならではの魅力を生む。
 そこで繰り広げられていることは虚構のドラマであるのに、そのドラマを演じているのは“現在の身体”を持った役者なのだ。風邪をひいていたり、足を捻挫していたり、神経痛に悩む役者だったりする。
 その危うさを、実は観客も感じている。
 共犯関係を持ちながら、その場の空気を体験して行く。
 ただ、ストーリーを見ているだけではなく、そこにいる役者の存在を感じている。
 これが演劇の面白さだよね。

 さっき、MONOの作品はドラマだと書いたが、私はいつも「そこで交されている会話」や「そこに人がいるという状態」にドラマを感じて欲しいと思って創っている。
 ストーリーを追うだけなら、演劇じゃない方がいいと思う。
 「これがああなって、こうなって、更にこう展開して」という、いわゆる「お話」には私はあまり興味がない。
 
 今回の「裸に勾玉」の後半に……登場人物たちが、ただ、ただ、お互いに◯◯◯◯合うシーンがある。
 ◯の部分はネタバレになってしまうので書けないが、例えばこのシーンでは全くストーリーは進まない。
 けれど、今回の作品の中でとても大事な、核となる場面だったりするのだ。
 このシーンを成立させる為に、その場で、目の前で、役者が進行形でやっていることはとても大事なんだと思う。

 役者の体調が万全じゃないことも含めて、舞台を成立させないといけない。

 私も出演しているのだが、はっきりいって不眠状態が続いていて、身体が怠いままだし、ある薬が切れていることで離脱症状があり、めまいが止まらない。それをなんとかしようとスパイスの効いたカレーを食べたら、辛過ぎて喉をやられたようで、その日は声が出なかった。はっきりいって素人だ。反省している。
 
 劇場の横の川沿いがとても気持ちいい。
 今日は劇場入り前にブラブラ歩いた。

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 色々と考えことをした。
 公演が終ったらと思うと……結構、怖い。
 
 ま、それも含めての演劇だしね。
 明日も、明後日も、そして明々後日もまだ本番ができるのだ。
 とにかく残りの舞台を、一期一会で頑張る。
 
 皆さん、劇場で共に作品をつくりましょう。お待ちしています。
 →特設サイト
posted by 土田英生 at 02:54| 大阪 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月23日

「裸に勾玉」残りは6ステージ。

 1月21日から京都で稽古をし、3月5日に東京で初日を迎えた「裸に勾玉」。

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 ※チラシから特設サイトにリンクします。
 
 名古屋での公演も無事終えた。
 劇場は小さい頃から通いなれた栄にある。

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 土日の2日だけだったのだが、土曜日は終わってから中学の同級生と夜中まで喋った。
 懐かしい話をたくさんした。

 私には幼なじみの女友達がいる。
 Mちゃんとしておこう。
 家が隣だったので幼稚園の頃からずっと一緒に遊んでいた。
 小学校からは毎日一緒に夜に勉強した。
 今、考えると彼女はとても美人だったのだと思うが、そんなことを考えたこともなかった。
 中学に入った頃から一緒に遊ぶことはなくなった。
 学校ですれ違ったりすると「おう」と声をかけたりはしたが、友達と一緒の時に会話した記憶すらない。
 なので、中学では私とMちゃんが幼なじみだという事実すら知られていなかった。

 土曜日に皆と喋った時、そこにはMちゃんはいなかったが、そんな話もした。
 
 で、日曜日。
 公演後にアフタートークがあった。
 その時、客席にMちゃんのお母さんの顔があった。私も小さい時から面倒をみてもらった人だ。
 
 公演終了後はそのままセットをバラし、キャストやスタッフはそれぞれ東京や関西に帰って行った。
 
 私は実家に泊まった。
 妹の子供2人、姪と甥もなぜか一緒に泊まった。
 次の日は朝から一日中、彼らの攻撃にあった。
 朝からキャッチボール、サッカー、そしてなぜか自転車で延々三人で走るという過酷な時間もあった。
 甥がピアノを弾き、それに合せて私一人が踊らされるという辱めも受けた。
 のんびりしたいと思い、風呂に入ろうとしても2人が一緒に付いてくる。
 朝の8時半から夜の10時まで……まるでブラック企業だ。
 公演で疲れているので、とても体力を消耗した。

 まあ、好きな物は食べられたけどね。
 まだ、一回しかいったことのないお気に入りのお蕎麦屋さん。

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 そして夜は……あつた蓬莱軒から暖簾分けしたひつまぶしのお店。

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 まあ、ちょっとした里帰りという感じだった。

 昨日の夕方。
 姪、甥と共に外でフリスビーをしている時、通りすぎる車から「ひで君!」という声が聞こえた。
 私を「ひで君」と呼ぶ人は……今やほとんどいない。
 見るとMちゃんのおばさんだった。
 車が停まる。
 私も駆け寄り、しばらくおばちゃんと話した。

「Mは今回、◯◯で観に行けなかったんだわ。謝っとったよ」
 
 と、申し訳なさそうに言う。
 客席からおばちゃんの顔が見えて嬉しかった、と話すと、いきなりおばちゃんは真顔で褒めてくれた。
 どういう訳だか、いきなり私の涙腺が緩む。
 小さい頃に戻ってしまったような気分だ。
 おばちゃんは「頑張っとるねえ。ひで君は頑張っとるねえ」と、何度も繰り返す。
 彼女は毎回来てくれているそうだ。私は涙を堪えるのに必死だった。
 10分程、立ち話をしておばちゃんは車で去って行った。

 改めてMちゃんのことを懐かしく思い出した。
 私が大学で京都へ行った後、それでも実家に戻る度にMちゃんとはよく会った。
 お互いの恋愛相談や、その時々に抱えていた悩みを打ち明けていた。
 それは彼女が結婚し、子供が出来る頃まで続いていた気がする。
 今、考えてみると、かなり私を支えてくれる存在であったね、Mちゃんは。

 今日は大阪に移動。
 明日からは大阪公演なのだ。
 集中して、悔いなく終わりたい。
 おかげさまで……評判も悪くないと思う……いやいや、こういうことは自分で言うことじゃないしね。
 不満に思う方だってたくさんいるんだろうし。

 MONOでまとめてくれているツイッター上の感想は以下にある。

 →MONO「裸に勾玉」感想ツイートまとめ

 ネタバレしているので、まあ、どうしようか迷っている人の参考になればという感じだ。
 
 明日、何をするのかはまとめた。
 芝居がおかしな方向に行かず、いい方向にだけ深まるようにしたい。
 いくら困っても、もう、Mちゃんも、ノスタルジーも今の私のことは助けてくれないのだ。

 今は今で……私を癒し、支えてくれる存在はいるのだ。
 その関係や存在を大事にして、現在、そして、これからに向けて頑張るのみだ。

 なので眠ろう。
posted by 土田英生 at 02:41| 大阪 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月19日

心の不思議

 名古屋の栄にいる。
 ホテルはセントラルパークの側だ。
 小さい頃は「センパル」と呼んでいた。
 遊びに行くといえば名駅か栄だった。高校生くらいになると鶴舞線沿線にも行き出したが、それでも映画とかを観るなら名駅、服を買うなら栄だった。スカイルとかよく行ったね。

 とにかく地下街もウロウロした。
 名駅近辺ではメイチカ、サンロード、ユニモール、たまにエスカ。
 栄だったらサカエチカとセントラルパーク。
 いやいや、そんなことはいい。
 公演をする芸術劇場に行くにはセントラルパークをくぐって、オアシスを通り抜けるだけだ。それを書こうと思ったのにノスタルジーに負けた。

 そうなのだ。
 今日と明日はMONO「裸に勾玉」の名古屋公演。
 
 とても元気だ。頑張ろう。
 人の心は不思議だ。無意識で色々調整している。
 東京公演が終わって、突然、糸が切れてしまい、なんだか気分が急降下した。
 で、事務所に引きこもっていた。
 何もやる気がおきず、洗濯と掃除ばかりしていた。

 16日。
 これではいけないと友達に会ったりした。喋っている間は元気なのに、一人になるとまた落ちて行く。
 17日。シブゲキで大谷健太郎監督のワークショップの発表会があったので観に行った。

 大谷監督は「約三十の嘘」を撮ってくれた人だ。
 椎名桔平さんや中谷美紀さん、田辺誠一さんに八嶋君。そして妻夫木さんも出ていた。こうやって書くとゴージャスなキャストだ。他にも「NANA」シリーズや「黒執事」なども手がけている。そういえば、そんな縁で「NANA2」にはタクシー運転手の役で出してもらったりもした。

 いやあ、あれは緊張した。オープニングシーンだしね。
 市川由衣さんを乗せているカットだった。
 それから随分と経って、「初夜と蓮根」という作品を映画にしてもらった時、市川由衣さんが風間杜夫さん、麻生祐未さんの娘役で出ていた。
 顔合わせの時「初めまして、脚本の土田です」と市川さんに挨拶したら「ひどい。初めてじゃないですよ。タクシー運転手だったじゃないですか」と言ってくれて嬉しかった。

 今回のワークショップで大谷監督は私の台本を使用してくれていた。

 2012年にMONO特別企画で上演した「空と私のあいだ」だ。
 今となっては私にとってきっかけになった作品だ。
 横山拓也君と共同台本でやらせてもらったり、オーディションで役者さんを選んだり。当時はMONOから金替君と尾方君、そして山本麻貴さんも出演していた。
 また、柿喰う客の七味まゆ味さんやMONOにも出てもらった松永渚ちゃん、kittを一緒に組んだりした高阪君や岩田奈々、また私の作品の常連になっていて「裸に勾玉」にも出演している高橋明日香など、今につながる人たちとの出会いの場でもあった。

 で、ワークショップ。
 一時間くらいの作品になっていて、それを見終わってから皆で飲みに行った。
 私は喋った。
 とてもよく喋った。

 その後、監督と朝まで飲んだ。
 で、普段は絶対にないことだが、最後に記憶が曖昧になった。
 なぜか最後はカラオケスナックみたいなところにいたりした。
 朝、別れて下北沢の駅に着いたところまではぼんやり覚えている。
 そこからが怪しい。
 事務所まで歩いて5分なのに、気がつくと階段で転んでいた。
 次に気がついた時には電柱の下にしゃがみ込んで……なぜか泣いていた。
 3回目に気がついた時には事務所にあるビーズクッションンに埋って眠っていた。

 慌てて準備をして、そのまま名古屋にやって来た。
 ツイッターを見たら、記憶の曖昧な時間に色々と呟いていて焦った。しかし、新幹線の中で台本をチェックしているうちに気持ちがすっかり戻って来た。
 
 不思議だ。
 心の不思議だ。
 
 今日は今から劇場入りして、照明や音響のチェックをして、そのまま夜には本番なのだ。
 
 お陰さまで、東京では評判もよく、お客さんも入ってくれた。弥生時代の会話劇です。
 最初は「ん?」と思うと思いますが、やがて馴染んでくる仕組みになっています。

 当日券もありますので!
 皆様、ぜひぜひ!

 →特設サイト
 
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posted by 土田英生 at 10:52| 愛知 ☔| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月13日

「裸に勾玉」東京千穐楽

 さて、今から眠る。
 その前にこれを書いて最後の宣伝をしよう。
 お陰さまでなんとか無事に公演は続き、今日は東京の楽日。
 つまり最後のステージだ。

 毎日、小さな失敗はたくさんある。
 けれど、お客さんも増えて来て、本来前売りがもう一つ伸びていないと心配していた昨日も、当日券のお客さんがたくさん来てくれた。
 本当に感謝だ。
 それに最近はMONOの公演に来てくれていなかった関係者も結構足を運んでくれる。
 重ねて感謝だ。

 私も出演しているので、本番中はモニターで観たり、袖に待機しながら芝居を見ている。
 で、メモに色々と気になったことを書く。
 自分の出番のことを考えたり、着替えたりもしているので、完全に放置している場面もあるのだが……いつもより放置している部分が多い。
 例えば前回の「ぶた草の庭」ではかなり出番が多かった。それと比べれば今回は格段に少ない。
 なのに、メモを取る量が少ない。
 これはどういうことなのか?

 面白いのは“いつもほど”細かい点が気にならないことだ。

 私はどうやら、台詞を書く段階で、すでにリズムや間を考えてしまっている。
 なので本番でその間が少しでもずれるととても気になる。

 もちろん、今回だってそれはあるのだが……言葉が基本的に現代日常語ではないので、どうやら自分でも計算できないらしい。だからどうすれば面白くなるのか、細かいことまで自分でも分かっていない。
 役者の皆が出したトーンを見て、それならもう少し抑えた方がいいとか、そこは強く言った方がいいとかの判断はできるのだが、台本からの計算でないので、結果、いつもより細かいことが気にならないのだ。
 大きな流れがしっかり押えられていれば、それでいいと思てしまう。

 これはとても新鮮だった。
 
 そんな「裸に勾玉」。
 弥生時代の日常を描いた舞台。
 皆様、ぜひ、お越し下さいー!
 当日券は今日も出ると思います。14時開演です。
 →特設サイト

 これは私の鏡前。
 ここでメイクをしたりメモを取ったりするのだが……自作の革グッズに占領されているね。

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posted by 土田英生 at 02:21| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月08日

休演日

 明日(今日?)は休演日。
 早く寝て、そして早く起きて、やらなければいけない事を済まそう……と、決めていたのにまだ眠れない。
 
 『裸に勾玉』は三回の公演が終わった。
 明後日から再び本番で東京では13日まで。

 三回やったことで随分と芝居の流れが把握できてきた。
 もう少しだけ手を加え、基本的にそれで行こうと思っている。
 いや、結局、毎日マイナーチェンジはするんだけどね。

 前回、シュートばかり打つ役者は嫌いだと書いた。
 では役者の個性をどう考えているのかというようなことを聞かれた。
 どうも考えていない。
 だって、個性なんて出すもんじゃないし。
 出るもんでしょう。
 いつからか「キャラ」という概念が固定化し、「キャラがかぶってるね」などというし、この前喋っていたある子は「私、キャラ変しないとダメですよね」と言っていた。
 
 個性なんてもんは、その人の存在自体にあると思う。
 だって大きな身体の人もいれば小さな人もいるし、鼻が高い人も低い人も……まあ、外見だけとったってバラならだ。声の質も、動きだって違う。同じことをやってもらっても、個性なんかあるのだ。
 もちろん、練習でよくなる面は磨けばいい。
 しかし持って生まれたものを否定する必要はない。

 肝心なのは「客観性と自覚」だよね。

 背の高い人がいたとする。
 それを隠そうとしても無駄だ。
 そして「大きくない」と自分に言い聞かせることも無理だ。
 だから、まずは、大きいと認める。
 人もそう思っていることを自覚する。
 スタートはそこからだ。

 で、大事なことはそれをどう捉えるかだ。
 なんでも物事は見方で変わる。
 背の高いことをそれをコンプレックスに思う人もいれば、自分の利点だと考える人もいる。
 背が低い人だって、それで悩むこともできれば、小さくて可愛いと考えることもできる。

 私は役者を演出する時、そのことをいつも考える。
 その人、本来の持っている物を、なるべくそのまま出したい。
 そして、それを魅力的に見せたい。その為にはその人がコンプレックスに思っていることでも、私の目に素敵だと映れば、どんどん出す。
 大体、自分の魅力なんて、自分では分からないしね。
 そのまま晒せばいい。
 それが一番、素敵に映るはずなんだし。
posted by 土田英生 at 04:08| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

初日、そして演技というもの

 MONO「裸に勾玉」の初日があいた。

 お客さんに観てもらう以上、きちんとやらなければいけない。
 しかし、いつだって初日は緊張する。
 どんなに考えて稽古していても、予測を完璧にすることなんかできない。
 また、それではもちろん面白くない。
 演劇はやはりお客さんに観てもらって、初めてその姿を現すものだ。

 しかし……今回は特に、どれだけ考えても想像できない部分があった。

 現代を舞台にした芝居の場合、まあ、ある程度反応は予測できる。
 例えば笑いを例にとっても、設定にズレをつくったり、面白いワードを選択すれば、予想は7割くらいの確率で当たる。
 けれど、「裸に勾玉」は弥生時代の設定で、しかも台詞もアレンジして“嘘弥生言葉”にしているので、それが初見のお客さんにどのように響くのか、それが全く分からなくなっていた。問題は稽古場では役者もスタッフも、そして私もその言葉に完全に慣れてしまうことなのだ。私たちではもう基準にならない。

 そういうこともあり……始まる前……猛烈に不安だった。
 私の演技にも個人的に大きな不安があり、役者としても猛烈に緊張していたが、それにもまして、この作品が観客の皆にどう受け取ってもらえるのか……とてつもなく怖かった。

 本番が始まる前、トイレで吐いた。
 昔は毎回だったが、久しくこんなことはなかった。
 
 で……なんとか初回の上演が終わった。
 少しの安堵と明日からのことを考えている。正確に書けば、お客さんがいつものように観てくれていたことへの安堵と、明日からどこをどう変えていくか、その方法を考えているのだ。

 終演後、観てくれた知り合いに聞くと、やはり最初は多少混乱するらしい。
 けれど、やがて耳が慣れ、10分もすると言葉が普通に聞こえると言っていた。
 そうなのだ。今回の芝居はスピードラーニング演劇なのだ。……なんじゃそれ。
 
 とにかく終わった。
 これからのことを具体的に考えよう。

 あ、後、もう一つ、今日思ったことがある。

 自分の出番のことでいっぱいいっぱいになりながらも、少しでも余裕のあるときはモニターにはり付いて本番を観ていた。演出だから当たり前なんだけど。

 で、ふと思ったのだ。
 みんな、いい顔するなあ、と。

 私が役者を選ばせてもらう基準はなんだろうと前々から考えていた。

 様々なところで喋っていることだけど、シュートを打つより、上手くパスを回してくれる人が好きだ。
 もちろんここぞという時はシュートを打って欲しいけど、やたらめったら入りもしないシュートを打つ役者は嫌いだ。まあ、そういう人は自意識過剰なタイプで、稽古をしていても困ることが多い。

 簡単にいえば演技を見せようとする人ではなく、なにかに対して素直に反応をしてくれる人。
 そもそも演技という言葉がダメだね。
 演じるワザ……うんんんん……押し出す感じがイヤだ。
 受ける身体というか……これがとても大事なんだと思う。

 ……それを見極めるには……人の台詞を聞いているときの顔を見れば分かるのだ
 無防備にそのまま相手に顔を向けていられる役者はとても魅力的だ。

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 ……稽古場の写真だが……なぜか山本麻貴だけいない。
 そうなのだ。彼女だけ、いくら探しても喋っている時の写真しかなかったのだ。
 もちろん、彼女はとても素敵に、無防備な表情で人の台詞を聞ける人だ。
 
 ということで、いい表情で人の話を聞いてくれる役者さん達と、明日からも本番は続く。
 皆様、劇場でお待ちしております!

 「裸に勾玉」特設サイト→
posted by 土田英生 at 03:10| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月03日

大騒ぎして東京へ移動。

 今日から劇場入り。
 スタッフは昨日の夜に東京へ移動。
 そして朝から舞台セットをたてたり、照明機材を吊ったり、音響のセッティングなどをする。
 舞台関係者は皆、これを「仕込み」と呼ぶ。
 あまりに当たり前に使っている言葉だけど、本当に妥当な言葉なのかどうかは分からないね。
 飲食店などでの営業準備を仕込みというのはしっくりくるんだけど、舞台を設営したりすることを仕込みというのはどうも変な感じがする。

 とにかく今日は「裸に勾玉」の仕込み日。
 キャストはお休み。
 そして、私はいつものように17時には劇場に顔を出すことになっていた。
 それくらいの時間には舞台セットができ上がるので、それをチェックするのだ。
 そしてあそこの色を少し変えて欲しいとか、ここはこうならないかとか、まあ、そんなことを相談する。

 京都の稽古期間中、私は稽古場近くにマンスリーマンションを借りていた。
 歩いて5分の距離だったので、とても助かった。
 いつものように台本が遅れていたのだが、往復に時間を取られないのでギリギリまで書ける。
 
 ただ、問題は、私はすぐに巣づくりをしてしまうことだ。
 少しでも快適にしようと、あれやこれやを持ち込んでしまう。
 一ヶ月半いたので、かなりの量になっていた。
 Amazonでした買物もマンスリーマンションに届けてもらっていたりした。

 それを今日の朝、片付け、段ボールに詰め、そして送り、東京に移動し、劇場で舞台チェックする……そういう予定だったのだ。

 朝、予定通りに起床。
 シャワーを浴びて、そして片付け始める。
 しかし……しかし……全く片付かない。

 途中で段ボールを調達しようと、近くのコンビニに行った。
 気の弱い私はちゃんと買物をした。
 そしてレジで……お金を払いながら「あ、そうだ……段ボールありますかね?」と、聞いてみた。
 レジの男性は淡々と言った。
 「さっき、業者さんが全部もって行きました」

 仕方ないので私は別のコンビニまで歩いた。
 そしてまたしても買物をした。そしてレジでお金を(以下略)
 レジの女性は申し訳なさそうに言った。
 「早朝に回収されちゃうんですよ。ですから夜中なら」

 私は意味のない買物を済ませて部屋に戻った。
 段ボールは後にしようと片付けを続けた。
 かなりの量だということが判明してきた。

 私は今度、スーパーに向かった。
 そこで今度は買物をせずいきなりお願いをした。
 あっさり分けてくれた。
 大きめの段ボールを二つ持ち、部屋に帰って詰め始める。
 ……いっぱいになったのに、まだまだ荷物はあった。一番かさばりそうな服は来て行くことにして、小さくなりそうな服をギューギューに詰めて行く。
 部屋にあったAmazonの空き箱や、大きめのカバンにも詰めた。
 全部で荷物は四つになってしまった。

 それでもまだ荷物は残った。

 これは東京に持って行こう。
 スーツケース、大きめのリュック、そして肩からかけるカバンに残りの荷物を詰めた。
 かさばる服を来ているし、荷物だらけの私はまるで夜逃げするみたいだ。
 これは移動が大変だと思ったけど、まあ、仕方ない。

 時計を見る。
 13時。
 予定通りだ。後は荷物を郵送し、そして移動する。
 14時の新幹線に乗れば17時にシアタートラムには顔を出せる。

 ……それから15分後。
 そうだ。
 早く出て、どっかでお蕎麦でも食べようと思った。
 なので部屋を早く出ることにした。
 部屋を見回す。

 マンスリーマンションの会社の人から言われた通り、曜日の関係で捨てられないゴミはちゃんと分別して袋に入れて、部屋の真ん中に置いてある。
 よし、行こう。
 しかし、テーブルの上にクリップやUSBメモリ、洗面所に残っていたタオルやヘアワックスを発見しそれらをパンパンになったリュックに詰め込み、そしてマンスリーを後にした。
 
 京都駅までは地下鉄で15分。
  
 京都駅でお蕎麦といえばどこの店が……。
 しかし、私の頭の隅にはなにかを忘れているという思いが残っていた。
 冷静に考えてみる。

 ……あ。

 私は郵送するつもりだった梱包済みの段ボールを部屋にそのまま置いて来たことに気がついた。
 嘘だろ……。
 これ以上、面倒なことはないという気分だった。
 もう、そのまま東京に行ってしまおうとすら思った。
 いやいやいや。

 私は再びマンスリーマンションに戻った。
 カギを言われたボックスに入れて返却してしまっていたので、そこに指を突っ込んで必死で引き出す。
 まるで泥棒気分だ。

 そして部屋に戻ったものの、荷物は四つ。
 二つ抱えてコンビ二に行く。重い……。
 荷物を置かせてもらい、もう一往復する。
 汗だくだ。

 荷物を出して、京都駅に戻り、そして新幹線に飛び乗ったが……一時間遅刻してしまった。

 劇場に入る。
 弥生時代の建物がトラムの舞台上には建っていた。
 スタッフと打合せをして……夜には久しぶりに下北沢の事務所に。

 やっと落ち着いた。
 明日は衣装をつけ、照明や音響ときっかけを合わせる。
 明後日はいよいよ初日なのだ。

 ああ、緊張。

 皆さん、観に来て下さい!
 →特設サイト
 
 
 
posted by 土田英生 at 23:52| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月29日

残り3回

 他のことも書きたいのだけど、別にこれといって面白いことも書けない。
 芝居以外で今日考えたことなど、たかが知れている。

 トイレットペーパーを逆さまにつけたまま二週間過ごした。付け替えればすぐなのに、どうして行動を起こさなかったのかと長い間考えたけれど……やっぱり書くようなことではない。

 近くのセブンイレブンで、最近私が店に入るだけで、店員さんがアーモンドが売られているコーナーに視線をやることに気づき、きっと店員さんの間では「アーモンド男」と呼ばれているだろうと想像し……いや、毎回、ゆであずきの缶詰も一緒に買うので、一体なんと呼ばれているのかとても気になってしばらく考えてみたけれど……それも書くようなことではない。
 
 やっぱり頭の中にあるのは芝居のことだ。
 2月も終わるのだ。3月5日は「裸に勾玉」の初日。
 東京で13日まで。それからは名古屋、大阪と公演が続き、3月27日が千穐楽だ。

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 特設サイトはコチラ

 けれど、やっと……今回の作品が形になって来た。
 問題が残っているとすれば、私の役者だけだ。
 これは今から必死で頑張る。

 新作は常に焦る。
 間に合うかどうかハラハラするし、しかもどんな作品になっているかは、正直言ってお客さんの前で上演しないと分からない。

 もちろん、台本を書くとき、自分なりに考え、これで行けると判断して書く。
 そして読んでもらったりするのだが、最初は書いた時とのイメージがあまりに違うで慌てる。
 まだ役者が慣れてもいないのに、ああだこうだと注文をつけてしまう。
 それは焦りなのだ。

 けれど……ある時、自分がこうしてくれと言っていない部分までがきちんと形になったりしていることに気づく。さらには書いた時のイメージより、よりクリアに見えて来たりする。
 
 そうなんだよね。
 指針があって、それに沿って役者やスタッフが進めてくれていれば勝手に芝居はよくなるのだ。
 何がやりたいのかさえ共有していれば、極端な話、演出の仕事は交通整理するくらいなのだ。後はちょっとしたアイデアを放り込んで行くことに集中すればいい。

 なのに何回経験してもそれが分からない。

 演出というと、大げさなことをやると勘違いしがちだが、芝居の軸がしっかりできていなければただのこけ脅しにしかならない。大体、本番を観て「演出が頑張ってる」なんて感想が最初にくるようでは芝居は失敗だしね。演出が何をしたかなんて分からないくらいになっていないとダメだと思う。

 今回の『裸に勾玉』も、弥生時代の会話劇というのをしようと思った時には、冒険だと意気込んでいたけれど、今となってはそれすらなんでもないことのように思える。
 結果……普通の芝居になっている気すらする。
 弥生時代が普通って、どういうことだろ?

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 まあ、メンバーが慣れた人たちだというのも大きいかも知れない。

 MONOの4人はもちろん、女優さん達も私は何度も一緒にやっている人ばかりだからだ。
 松原由希子さんは前回に続いてまだ2回目だけど、もたい陽子さんとは4回目、山本麻貴さんとは6回目、高橋明日香さんとは8回目だ。
 
 今回、意識的にそうさせてもらった。
 「ぶた草の庭」と同じキャストでやりたいと私は制作にお願いした。
 高阪君はスケジュールの関係で出られないことになったけど、それ以外のメンバーは参加してくれている。初めての時代劇をしたいということで(弥生時代が時代的のカテゴリーなのかは不明だけど)、私がやりたい芝居のベースを理解してくれている人でないと困ると思ったからだ。
 
 もたいさんもスケジュールがかぶった。
 2月前半まで別の舞台があったからだ。
 だから参加が遅くなる。そこで、そういう役にするからという話で出演を受けてもらった。

 でも、それが結果、いい効果になっていると思う。
 稽古場レポートの第3回→で稲垣さんが書いてくれているけど、もたちんの登場によって芝居の流れが一本ではなくなるからだ。

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 ……これは衣装ではなく、なんとなく弥生時代っぽい感じになってるもたちん。

 さてと、残りの稽古は今日を入れて3回。
 頑張ろ。
 

 
 
posted by 土田英生 at 04:21| 京都 | 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月19日

寄りかからないこと

 「裸に勾玉」の稽古は進行中。

 MONOのFaceBookページでは稽古場レポートやキャストのミニインタビューが読めます。→
 また、「裸に勾玉」の特設サイトもありますので、見てくださいね。→
  
 もちろん毎日楽しくやっている。
 しかし、時々、猛烈に怖くなる。
 自分の考えていることや、判断に自信が持てなくなる。皆も積極的に意見は言ってくれるので、そこまで孤独ではないんだけど、やっぱり怖さはある。
 たかが芝居なのにね。
 けれど、これは私にとっては一番大事なものだしね。

 不安になる時というのは結局「周りからどう評価されるか」が気になった時だ。
 だから静かに自分に問いかければ自ずとやりたいことは明確になるんだけど、まあ、思い通りのアイデアが浮かぶ訳でもないし、常になにか足りない感じが付きまとう。人の言葉に耳を傾けながらも、遠慮をせずに突き進むしかない。その先にしか答えはないんだし。

 人は不安になるとなにかに頼りたくなる。
 神頼みとか、占いもそうだ。
 私はそういうものは基本的に信用していない。
 なにかに寄りかかることはとても楽だ。
 私だって完全に頼りにできるものがあれば、欲しいと思ったりしてしまう。
 絶対的な先生とか欲しくなる時があるしね。
 私の芝居の悩みとか、人生の悩みを全て聞いてくれて「ダメだ」とか「行け」とか言って欲しい。
 その通りに動けばいいなら、それほど楽なことはない。

 けれど、それは思考停止を招く。
 あっちへフラフラ、こっちへフラフラしながららでも、自分で迷い、自分で考えることはとても大事だ。

 まあ、何にも頼らないというのは無理なんだけど。
 人にも甘えてしまうし……今もお酒をのんでしまっているし。

 二時間後には東京に向かわないといけない。
 だから眠らずに仕事をしようと思っていた。
 実際にやっていたが……怖くなり、ウイスキーを飲んでしまった。
 気が少しだけ楽になった。
 
 寄りかかってるね。
 けど、考えることだけはやめたらダメだよね。
posted by 土田英生 at 05:02| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月09日

稽古場

 誰にでもあるように、まあ、面倒なことが私の日常生活の中にあったりする。
 それは具体的な問題でもあるけれど、それよりも、そのことを通して、自分の人間性だとか性格を省みてしまうのがキツい。
 作品を創る時、私はいつも自分自身の目に、つまり自分のレンズに今の世界がどう映っているかをスタート地点にしている。
 自分の足場がしっかりしているときは、世界のおかしみ、哀しみ、それに対する苛立ちや愛おしさをそのまま書いて行けるのだが、自分に自信がなくなるとレンズそのものを疑ってしまうからだ。
 
 だから稽古場で役者やスタッフに頼ってしまう。
 他の人から大丈夫だという言葉をもらって、自分を補強したいんだね。
 冷静な視点が欲しいのに、結局は甘えているんだなあと思う。
 メンバーも出ている役者さん達もとてもできた人たちなので、私に余裕がない時は特に優しいのだ。

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 それを感じる度に、有り難さと……私は自分に対して嫌悪感を抱く。
 無駄に焦らず、正当に考えつつ、確実にやって行こう。
 辛いときは愚痴を聞いてくれる友達もいるし。
 悪いなあと思いつつ、どうしても頼ってしまうんだよねえ。

 芝居は形が見えたり、消えたり……その繰り返しだ。

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 まだ、これからいくつも苦しい時はあると思うが、いいものをつくらないと。
 稽古場は相変わらず楽しいし。
 
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 さてと、もう少し頑張ろう。
 仕事のお供もちゃんとあるし。

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posted by 土田英生 at 03:47| 京都 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

おかしな時間から頑張る

 どういう訳だか、今日は異様に疲れていた。

 新幹線の中で名古屋を通り過ぎることにも気づかないくらい熟睡したにも関わらず、京都駅に着いたら頭痛がひどかった。歩いていると吐き気がして来て思わずトイレに駆け込んだ。
 それでもなんとか稽古はできた。
 帰ってきてすぐに眠り、2時過ぎて目が覚めた。
 中途半端だ。
 取り敢えずコーヒーを飲んだ。
 しかし、なかなかやる気がおきない。
 かといってこの時間を無駄にもできない。
 覚醒しようと思ってこれを書いている。
 更新し終わったらお風呂に入り、それから頑張る。

 ……ああ、髪が切りたい。
 私は髪が耳にかかるととてもストレスを感じる。
 しかし、今回の舞台は弥生時代。
 なので取り敢えず髪を切るのを待ってもらっている。私もしかりだ。
 だから、特に男性陣は小汚くなってしまっている。
 
 やっと立ち稽古を始めた。
 21日から初めて、この10日間は芝居のトーンというか、虚構具合とでもいったらいいのか分からないが、その試しに使ってしまった。言葉を“ウソ弥生言葉”にしているので、その塩梅が難しかったのだ。

 しかし、もう大丈夫。
 おかしな言葉を喋りながらも意味も分かるという、それなりのリアリティーを創り上げることはできると思う。本当なら現代人とは会話は成立しないだろうしね。
 これまでもありそうでないという世界を舞台上に創るということは考えてきたので、やっていることは変わらないのだが、やっぱり“弥生時代”という縛りがある分、少しだけ苦労した。
 役者の皆も少しずつ慣れてきてくれているし。楽しくなってきた。

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 私は演出デスクの上に自作の勾玉を並べて頑張っている。
 実際にこれは使わないんだけどね。

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 あ、そうだ。
 下北沢を出て来る時に書いた前回。
 写真を載せようと思っていたのに、時間がなかった。
 だからここに一気に載せよう。

 えっと、まずは「ここに三人の写真」……25日のトークのことだね。

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 次が「打ち上げでの写真」……これは昨日の「なるべく派手な服を着る」のことだ。

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 それから……おい、なんだ、この「なんかの写真」というのは。
 なんかって何を?
 稽古に邁進しようと書かれた後にあるので、それに付随することがいいよね。

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 左側に写っているのは京都にある「中京青少年活動センター」。
 昔は「中京青年の家」とう名前だった。
 ここでは演劇ビギナーズユニットという講座の講師をさせてもらったりもしたが、MONOの稽古でも頻繁に使用させてもらっていた。

 これでいいか。

 後は……リンクを貼るとも書かれているので、最後に宣伝活動をして終わろう。

 MONO「裸に勾玉」の特設サイト→ 
 ここでは公演情報や、前作「ぶた草の庭」の戯曲などが読めます。
 チケットの購入などもコチラからどうぞ。

 そしてMONOのFACE BOOKページ→
 今回のキャストのミニインタビューや、稲垣さんによるMONOの稽古場のレポートなどが読めます。
 また、他にもちょっとした日常の情報が書かれていたりします。
 
 MONOのサイトはコチラ→

 こうなったらTwitterも貼っておこう。
 わりとちょこちょこ情報が出ていますので、よかったらフォローして下さいね。
 MONOTwitterアカウント→

 さて、お風呂に入って、頑張ろ。
posted by 土田英生 at 04:35| 京都 ☁| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

無理やり更新

 時間がない。
 なのでとてもいい加減な感じになる。
 本来ならリンクを貼ったり、写真も載せたりするのだが今はそんな時間もない。
 写真を載せたい場所やリンクを貼りたい場所には✴︎印をつけてごまかそう。
 そして、今日の夜にでもそっと写真に置き換えたりしてみよう。
 
 25日、本多君、古藤君とのトークが終わった。
 前日の夜中にオープニングの台本を書いて、当日に合わせた。
 グダグダだったが、それでも二人や周りのサポートのおかげでイベントは無事に終了した。

 ✴︎ここに三人の写真

 再びMONO「裸に勾玉」→(✴︎特設サイトへのリンク)一色になったはずだったが、様々にやらなければいけないことが溜まっていて時間がなかった。絶対に観るねと本人に約束をした舞台などにも行けず、稽古も1日休みにしたりして、それでも時間が足りず、また、稽古もやればやるほど「この方向で大丈夫なのか」という心配がぬぐえず、どうも全体重を乗せきることができないでいた。

 しかも、日常生活でも小さな障害が私を襲う。
 京都ではさて稽古に行かなければと思っている時、洗面台の排水溝の中に、ボトルのキャップがコロコロと転がりすっぽり入ってしまい、取り出すために30分格闘してみたり、ある書類のために印鑑が必要でちょっと高いのを買い、作業が終わっていざ捺印をしようと思ったらその印鑑が「内野」だったり、近くのセブンイレブンでアーモンドが切れていたので代わりになぜか「さきいか」を買ってしまったりという大問題に直面している。

 前回の稽古休みはトークイベント。
 そして昨日の稽古休みは東京に移動して、水下きよしさんの三回忌で上演された「なるべく派手な服を着る」を観た。MONOとはテイストが違う感じだったが、それでも面白く観た。
 演出や演技が違う分、色々と考えることがあり、逆にそのことで今、自分がやっていることに客観的な光が当たり、考えがすっきりした。そういう意味でも観てよかった。

 終わってから知り合いとお茶をして、下北沢に戻り、ここで買わなくてもいいのになぜかカルディで色々と購入してしまい、京都に戻るためのリュックがパンパンになったりした。
 夜には打ち上げに参加。
 花組芝居の皆さんと知り合ったのは、昔に参加した利賀村だったなあなどと感慨深く思い、目の前にいた加納さんと話すのが楽しく、調子に乗って喋ってしまい深く自己嫌悪に陥りながら下北沢に戻ってきた。

 ✴︎打ち上げでの写真

 夜遅くに別の友人と会って近況報告をして、さっき起きて京都へ戻る準備をしている中、突然思い立ってこれを書いている。

 今日も今から京都で稽古。
 すっきりしたので邁進しよう。

 ✴︎なんかの写真
posted by 土田英生 at 12:15| 東京 ☀| 雑記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする